沢部村(読み)さわべむら

日本歴史地名大系 「沢部村」の解説

沢部村
さわべむら

[現在地名]大原町沢部

長志ながし(郷)三ヵ村の一で、同郷の北東部に位置し、西部を南北に落合おちあい川が流れる。元禄郷帳天保郷帳などに記載がないが、領内では一村扱いされた。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳に沢部村とみえ、高三五四石余、久留里藩領と旗本渡辺・杉田・曾雌・山下領の五給、家数三〇。安政二年(一八五五)の家数二四・人数一二五、馬九(大原町史)。嘉永六年(一八五三)杉田氏は当村と長志村の知行地に出没する猪鹿撃退用の鉄砲を各一挺を預けている(大原家文書)。文久元年(一八六一)佐室さむろ村が落合川急流での当村の簗漁で佐室村内二俣ふたまたに架かる大橋が破壊され、浜方への産物輸送に支障を来すとして当村に簗漁を中止するよう申入れてきたため、この橋普請の費用の三分の一を負担することになっていた当村はその負担を拒否。


沢部村
さわべむら

[現在地名]社町沢部

加古川左岸の平野部に位置し、西は大門だいもん村。元禄郷帳に「沢部そのべ村」とみえ、園部村とも称されたという。慶長国絵図に「沢野辺村」とみえる。正保郷帳では沢部村と記され、赤穂藩領、田方三四七石余・畠方四〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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