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河口信任 かわぐち しんにん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河口信任 かわぐち-しんにん

1736-1811 江戸時代中期-後期の医師。
元文元年5月9日生まれ。下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)藩医。京都所司代となった藩主土井利里にしたがって京都にいき,荻野元凱(おぎの-げんがい)に入門。師とともに刑死体を解剖,明和9年(1772)わが国2番目の刊本解剖書「解屍編」を出版した。文化8年4月26日死去。76歳。肥前唐津(佐賀県)出身。名は道之。字(あざな)は子遠。通称は忠左衛門。号は宏斎。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

河口信任
かわぐちしんにん
(1736―1811)

蘭医(らんい)。元文(げんぶん)1年5月9日、肥前(ひぜん)国(佐賀県)の唐津(からつ)に生まれる。名は道之、字(あざな)は子遠、号は宏斎。初め長崎に遊学して栗崎道意(くりさきどうい)について南蛮外科を学び、唐津藩医となった。1762年(宝暦12)藩主土井利里(1722―1777)の移封に従って下総(しもうさ)国古河(こが)に移り、のち利里が京都所司代になったおり京に上って、当時名医の聞こえ高い荻野元凱(おぎのげんがい)(1737―1806)について学んだ。1770年(明和7)京都の西郊で元凱とともに刑死体を解剖し、このときの所見をまとめて『解屍編(かいしへん)』として1772年(安永1)に出版した。この解剖は杉田玄白らの江戸・小塚原(こづかっぱら)の腑分(ふわ)けの前年にあたり、本書は西洋解剖学の正しさを認識させるうえで大きな力があった。[深瀬泰旦]

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