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河村秀穎 かわむら ひでかい

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河村秀穎 かわむら-ひでかい

1718-1783 江戸時代中期の武士,国学者。
享保(きょうほう)3年閏(うるう)10月4日生まれ。河村秀世の長男。尾張(おわり)名古屋藩士。天野信景(さだかげ)にまなび,有職(ゆうそく)故実や律令に精通した。安永2年(1773)文庫「文会書庫」を創設。藩命で「歴代徒刑(ずけい)考」を執筆。弟の秀根とともに「日本書紀撰者弁」をあらわす。町奉行や書物奉行もつとめた。天明3年6月16日死去。66歳。初名は秀興。字(あざな)は君栗。通称は久米之進,七郎。号は楽寿館など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

河村秀穎

没年:天明3.6.16(1783.7.15)
生年:享保3.閏10(1718)
江戸中期の国学者。尾張(名古屋)藩士。初名は秀興。通称久米之進,七郎。号は楽寿館,君栗。父は秀世,弟に秀根がいる。尾張藩士で実証主義的研究を行った天野信景や垂加神道家である吉見幸和に学んだ。弟秀根,子の秀俊,秀根の子殷根,益根と共に国学を研究し,紀典学を家学とした。秀根との共著に『日本書紀撰者弁』がある。律令制に詳しく,藩命により『歴代徒刑考』を著す。安永2(1773)年「文会書庫」を設立,多数の蔵書を収めた。『令義解備考』『楽寿筆叢』『首書神祇令集解』など古代の法制に関する著書が多い。

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

かわむらひでかい【河村秀穎】

1718‐83(享保3‐天明3)
江戸中期の国学者。はじめ,名は秀興。秀世の子。尾張藩士で,天野信景を師として国学を学び,また有職故実,律令にも通じた。稲葉通邦,石原正明,神村正鄰らと律令講読会を組織し,その研究成果は通邦の編する《講令備考》10巻(《続々群書類従》所収)として結実した。また弟秀根の《書紀集解(しつかい)》の執筆にも協力。ほかに《歴代徒刑考》等を著したと伝えられる。【早川 庄八】

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世界大百科事典内の河村秀穎の言及

【河村秀根】より

…江戸中期の国学者。秀世の子で,尾張藩士。字は君律,号は葎庵。藩主徳川宗春に出仕のかたわら,兄秀穎(ひでかい)とともに神道・国学を学び,《日本書紀》などの古典を研究,また稲葉通邦らと律令講読会を組織。代表的著書《書紀集解(しつかい)》は秀穎と子益根(ますね)の協力により,没後に完成。ほかに《続日本紀集解》以下の六国史の注釈,《神祇令集解》などがある。【早川 庄八】…

【律令法】より

…降って室町時代に一条兼良は《令抄》を著したが,これも古来の注釈を摘記したものにすぎない。ついで江戸時代に入ると漢学者,国学者の双方による律令研究が盛行し,注釈書を残した者に壺井義知(つぼいよしちか)(1657‐1735),荷田春満(かだのあずままろ),稲葉通邦(いなばみちくに)(1744‐1801),河村秀穎(ひでかい),河村秀根(ひでね),薗田守良(そのだもりよし)(1785‐1840),近藤芳樹などがあるが,依然として研究の中心は解釈学におかれていた。 しかし近代史学の発達とともに,律令の研究はその解釈にとどまらず,多方面にわたって深化した。…

※「河村秀穎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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