河根村(読み)かわねむら

日本歴史地名大系 「河根村」の解説

河根村
かわねむら

[現在地名]丹原町川根かわね

周桑平野西方の山峡にある農村。東はあいノ山・新城しんじよう山などの低い山を隔てて久妙寺くみようじ村に、南は高松たかまつ村・田滝たたき村に、西はみずとうを隔てて田滝村に、北は古田こた村に接する。大谷おおたに川が村内を南へ流れ、南北に細長い水田地帯がある。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)周布しゆうふ郡の項に高三〇八石四斗二升とあり、「川根村 日損所、林山有」とみえる。宝永七年(一七一〇)の「周布郡大手鏡」でも同表記であるが、元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記には同石高で松平隠岐守知行とあり河根村と表記され、天保郷帳でも河根村と表記される。

古代から中世にかけてはつまびらかでない。村の小字地名寺社関連のものが多く、古東光寺ことうこうじ(古銭・五輪塔など出土)大門だいもん、歌殿、ぼうしたもんしたや成道寺・堂敷などがあり、東光寺・寺之前てらのまえなどもある。


河根村
かねむら

[現在地名]九度山町河根

丹生川にうがわ村の西、ほぼ西流する丹生川流域に位置し、西は椎手しいで村。学文路かむろ(現橋本市)より南に登る高野街道が河根峠を越えて当村に入り、西郷にしごう(現高野町)に入る。「兼」とも記す。小名に茂野しげの(現繁野)がある。弘安八年(一二八五)九月日付の高野山金剛峯寺寺領注文(「続風土記」所収)に「賀禰郷」がみえる。宝徳元年(一四四九)閏一〇月日付の伊都郡日別厨返渡注文(又続宝簡集)には「五貫六百文 炭香庄三保川 加禰 丹生川等此外無存知」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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