日本歴史地名大系 「河部村」の解説 河部村こうべむら 京都府:中郡大宮町河部村[現在地名]大宮町字河辺(こうべ)周枳(すき)村の北東に位置し、東側は木積(きづみ)山系から樹枝状の谷間が広がり、西側は竹野川の河岸段丘で田が開け、北側は現峰山(みねやま)町と接する。村域内を間人(たいざ)街道が通る。中世末の丹後国御檀家帳に「かうべにて 城主也、一宮のおとな也、民部殿 御そうしや、毛呂孫左衛門殿」とみえる。慶長検地郷村帳には高一五〇九・八石「河部村」とみえ、次いで「河部村之内新町村」の注記があって枝村新町(しんまち)村(現峰山町)が含まれていた。 河部村かべむら 岐阜県:郡上郡大和町河部村[現在地名]大和町河辺(かべ)徳永(とくなが)村の南、長良川左岸の河岸段丘上にある。越前街道に沿って細長く集落を形成する。川辺村とも壁村とも書く。東方の山側に丸山(まるやま)古墳があり、一号墳からは須恵器・直刀、二号墳からは須恵器・金環・銀環・鉄製短刀などが出土した。南方河岸段丘上の熊田(くまだ)古墳からは須恵器・鉄刀・鉄鏃などが出土した。ともに七世紀に属する。慶長郷帳に「かへ村」とみえ、高一七四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報