泉智等(読み)イズミ チトウ

20世紀日本人名事典 「泉智等」の解説

泉 智等
イズミ チトウ

明治〜昭和期の僧侶 古義真言宗初代管長;金剛峰寺座主



生年
嘉永2年1月12日(1849年)

没年
昭和3(1928)年9月25日

出生地
阿波国麻植郡鴨町殿居(徳島県)

別名
号=物外

経歴
万延元年(1860年)阿波国板野郡矢武村の荘厳院・磧道大和尚について得度し、文久3年(1863年)四度加行を修め、慶応元年(1865年)徳島藩儒・柴六部に漢籍を学ぶ。明治元年高野山修業の後、京都智積院で密教学を学ぶ。6年徳島県泉福寺の住職となる。12年より全国を巡錫し荘厳院・高野山円通寺・長崎延命寺・山口県満願寺・奈良県吉祥寺など30余ケ寺に転住した。また函館市高野山、鹿児島市最大乗院などを復興した。19年大僧正。33年から8年間京都仁和寺門跡を務め、41年真言宗泉涌寺派管長となり、泉涌寺長老を16年間務める。大正12年高野山派管長及び総本山金剛峰寺座主となり入山し、同時に真言宗連合総裁を兼ねる。14年三派合同の古義真言宗が成立すると共に推されて初代管長に就任。宗門最高峰に位置し書画に秀でていた。明治20年以来、毎年宮中後七日御修法の供僧あるいは大阿を務めた。真言宗京都大学総理高野山大学総理も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「泉智等」の解説

泉智等 いずみ-ちとう

1849-1928 幕末-昭和時代前期の僧。
嘉永(かえい)2年1月12日生まれ。真言宗。高野山,京都智積(ちしゃく)院でまなぶ。明治33年京都仁和寺(にんなじ)門跡(もんぜき),41年泉涌寺(せんにゅうじ)派管長,大正12年高野山派管長,金剛峰寺(こんごうぶじ)座主(ざす)となり,真言宗連合総裁をかねる。14年古義真言宗初代管長。真言宗京都大学,高野山大学の総理もつとめた。昭和3年9月25日死去。80歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。号は物外。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android