日本大百科全書(ニッポニカ) 「泉福寺洞穴遺跡」の意味・わかりやすい解説
泉福寺洞穴遺跡
せんぷくじどうけついせき
長崎県佐世保(させぼ)市瀬戸越(せとごし)町にある旧石器時代末期から歴史時代までの遺跡。とくに細石器に伴出して日本最古の豆粒文(とうりゅうもん)土器を出土したため有名となる。1970年(昭和45)より10年間麻生優(あそうまさる)らによって発掘調査がなされた。最下層のナイフ形石器より細石刃(さいせきじん)、押型文土器文化へと続き、最上層からは平安時代の瓦器(がき)が出土。おもな時期は細石器文化層にあり、包含層が厚く堆積(たいせき)していた。豆粒文土器、隆線文(りゅうせんもん)土器、爪形文(つめがたもん)土器、押引き文土器と連続する層位と細石刃の共存が観察された。アルコース砂岩の風化作用によってできたこの洞穴は、北風を遮り日照性のよい南向き斜面にあるため、石器時代より現代までたびたび利用された。国指定史跡。
[麻生 優]