波平村
はんじやむら
[現在地名]糸満市南波平
摩文仁間切の西端に位置し、南は伊礼村。ハンジャ村とよび、ハンザ村ともいう。地名は「おもろさうし」巻二〇の六に「はひらもりくすく」とみえる。はじめ島尻真加比間切に属し喜名村と称したが(絵図郷村帳など)、のちの間切境の変更により摩文仁間切に編入され、波比良・波平に改称されたと思われる。「琉球国由来記」には同間切に波比良村・波平村とある。喜名村は享保二一年(一七三六)時点では「当時無之」の状態で(前掲郷村帳)、事々抜書には摩文仁間切に波比良と「喜納」が同時にみえる。喜納は郷村帳になしという。琉球国高究帳では島尻真加比間切喜名村として頭高一五一石余、うち田六〇石余・畠九一石余。
波平村
はんじやむら
[現在地名]糸満市北波平
阿波根村の東に位置し、東は東風平間切の小城村(現東風平町)、西は豊見城間切の保栄茂村(現豊見城市)など。ハンジャ村とよび、ハンザ村ともいう。慶長一八年(一六一三)一二月一五日に首里王府から摩文仁(親方安恒)に宛行われた知行目録(南島風土記)に豊見城間切「はひら村」とみえる。絵図郷村帳にも豊見城間切「はひら村」、「琉球国由来記」には兼城間切波平村とみえる。琉球国高究帳に村名は載らないが、豊見城間切の武富村と小城村を併記した高頭一六七石余か、阿波根村の高頭二三二石余の中に包含されていると思われる。
波平村
はんじやむら
[現在地名]読谷村波平
上地村の西にあり、西は東シナ海に面する。ハンジャとよばれる。絵図郷村帳・琉球国高究帳では「はびら村」とみえ、高究帳では高頭三七五石余、うち田一三石余・畠三六二石余。拝所に波平之殿があり、麦・稲四祭のときは波平地頭が五水を、波平村百姓中が神酒を供え、かつ穂祭には百姓中は五水を供えた。座喜味ノロが祭祀を行った(琉球国由来記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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