津太夫(読み)つだゆう

百科事典マイペディア 「津太夫」の意味・わかりやすい解説

津太夫【つだゆう】

江戸時代の陸奥(むつ)仙台藩領の舟子(ふなこ)。1793年津太夫ら若宮(わかみや)丸の乗組員石巻(いしまき)から江戸に向かう航海の途中遭難し,ロシアのアレウト列島ウナラスカ島漂着,救助された。イルクーツクで生活していたが,津太夫ら生き残った4名は日本への使節レザノフに連れられ,1804年帰国した。彼らの見聞大槻玄沢(げんたく)がまとめた《環海異聞》(かんかいいぶん)で有名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「津太夫」の解説

津太夫
つだゆう

生没年不詳。近世後期の漂流民。陸奥国石巻の漁民。1793年(寛政5)米沢屋平之丞持船若宮丸が石巻から江戸に向かう途中時化にあい漂流,翌年アリューシャン列島アンデレイッカ島に漂着。ロシア人に救われイルクーツクに居住し,のちペテルブルクに行き皇帝アレクサンドル1世に謁見。ロシア使節レザノフにともなわれ,1804年(文化元)長崎に来航し翌年幕府に引き渡された。仙台藩にひきとられ,大槻玄沢によって「環海異聞」が編まれた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津太夫」の解説

津太夫 つだゆう

1744?-? 江戸時代後期の漂流民。
延享元年?生まれ。寛政5年(1793)陸奥(むつ)石巻(宮城県)から江戸にむかうとき嵐にあいロシア船に救助され,ペテルブルグにおくられてロシア皇帝に謁見。文化元年(1804)遣日使節レザノフにともなわれて帰国した。大槻玄沢(おおつき-げんたく)の「環海異聞」にその見聞がみえる。

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