津太夫(読み)しんだゆう

朝日日本歴史人物事典 「津太夫」の解説

津太夫

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:延享2(1745)
近世漂流民。寒風沢島(宮城県塩釜市)出身。一説に文化11(1814)年7月29日没。日本人として最初に世界を一周。寛政5(1793)年に石巻の廻船若宮丸の16人の乗組員のひとりとして江戸へ向かう途上で漂流,アレウト列島(アリューシャン列島)に漂着してロシア人の保護を受け,イルクーツク定住。のちレザーノフの日本派遣に伴ってペテルブルクに送られ,アレクサンドル1世に拝謁,ロシア初の世界周航航海でもあるクルーゼンシュテルンの艦隊に,儀兵衛,左平,太十郎の3人と共に乗船,文化1(1804)年長崎に送還され,翌年,日本側に身柄を渡され,仙台藩大槻玄沢がその体験から『環海異聞』『北辺探事』を編纂した。別に個人的に経験を語った選者不詳の漂流記(『欧羅巴国漂流記』など各種の写本がある)もある。<参考文献>『環海異聞』(山下恒夫編『江戸漂流記総集』6巻・解説)

(春名徹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「津太夫」の意味・わかりやすい解説

津太夫【つだゆう】

江戸時代の陸奥(むつ)仙台藩領の舟子(ふなこ)。1793年津太夫ら若宮(わかみや)丸の乗組員は石巻(いしのまき)から江戸に向かう航海の途中遭難し,ロシアのアレウト列島のウナラスカ島に漂着,救助された。イルクーツクで生活していたが,津太夫ら生き残った4名は日本への使節レザノフに連れられ,1804年帰国した。彼らの見聞を大槻玄沢(げんたく)がまとめた《環海異聞》(かんかいいぶん)で有名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「津太夫」の解説

津太夫
つだゆう

生没年不詳。近世後期の漂流民。陸奥国石巻の漁民。1793年(寛政5)米沢屋平之丞持船若宮丸が石巻から江戸に向かう途中時化にあい漂流,翌年アリューシャン列島アンデレイッカ島に漂着。ロシア人に救われイルクーツクに居住し,のちペテルブルクに行き皇帝アレクサンドル1世に謁見。ロシア使節レザノフにともなわれ,1804年(文化元)長崎に来航し翌年幕府に引き渡された。仙台藩にひきとられ,大槻玄沢によって「環海異聞」が編まれた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津太夫」の解説

津太夫 つだゆう

1744?-? 江戸時代後期の漂流民。
延享元年?生まれ。寛政5年(1793)陸奥(むつ)石巻(宮城県)から江戸にむかうとき嵐にあいロシア船に救助され,ペテルブルグにおくられてロシア皇帝に謁見。文化元年(1804)遣日使節レザノフにともなわれて帰国した。大槻玄沢(おおつき-げんたく)の「環海異聞」にその見聞がみえる。

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