津田出(読み)ツダ イズル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「津田出」の解説

津田 出
ツダ イズル


肩書
元老院議官,貴院議員(勅選),陸軍大輔

別名
号=芝山

生年月日
天保3年3月(1832年)

出生地
紀伊国(和歌山県)

経歴
蘭学徂徠学を学び、和歌山藩の小姓業奥右筆組頭をつとめたが、幕末国事に関係して幽閉される。明治維新に際して許され、明治2年和歌山藩大参事となり財政面で活躍。他藩に先んじで郡県制、徴兵制を実施した。4年廃藩後、明治政府に入り大蔵少輔。6年以後陸軍省に入り、陸軍会計監査長となり、7年陸軍少将、陸軍大輔に進む。8年元老院議官ついで刑法草案審査委員となり、刑法、治罪法、陸軍刑法などの起草審査を行う。高等法院陪席裁判官をつとめ、23年勅選貴院議員となる。のち辞任し、大農法を唱えて千葉県の原野開拓などにあたった。維新三傑と合わせ四傑といわれる場合もあったと言われ、日本陸軍の徴兵制度を最初に発案実施したのが津田で、山県有朋当面の責任者であったにすぎないという。徂徠学、蘭学の先輩として敬せられ、陸奥宗光をはじめ、数多くの人材を門下から輩出した。

没年月日
明治38年6月2日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「津田出」の解説

津田出

没年:明治38.6.2(1905)
生年:天保3.3(1832)
幕末の和歌山(紀州)藩士,明治期の官僚。江戸で蘭学を修業,帰藩後蘭学教授を勤めた。慶応年間(1865~68),藩の国政改革制度取調総裁に任じたが,勤王運動に投じて譴責禁固。明治1(1868)年執政として復職,2年和歌山藩大参事に昇任,中央政府に対して郡県制度・徴兵制度採用の急務進言,同時に紀州の藩政改革で四民平等,徴兵制を採用・実行し注目された。廃藩置県(1871)後,参議西郷隆盛に推挙されて大蔵少輔,7年陸軍大輔に転じ陸軍少将に任じられた。世に注目され,抱負の大なるに比して官職に恵まれず,次第に国政への意欲を減じた。元老院議官,貴族院勅選議員を経歴。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田出」の解説

津田出 つだ-いずる

1832-1905 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)3年3月生まれ。紀伊(きい)和歌山藩士。明治2年藩の大参事となり,徴兵制を実施。廃藩置県後,陸軍大輔(たいふ),元老院議官,高等法院陪席裁判官などをつとめ,23年貴族院議員となる。晩年は千葉県で開墾にたずさわった。明治38年6月2日死去。74歳。通称は又太郎。号は芝山。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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