津田鍛雄(読み)ツダ カジオ

20世紀日本人名事典 「津田鍛雄」の解説

津田 鍛雄
ツダ カジオ

明治・大正期の実業家 衆院議員(壬寅会)。



生年
明治4年5月1日(1871年)

没年
大正10(1921)年11月30日

出生地
岡山県児島郡天城村(現・倉敷市)

学歴〔年〕
同志社〔明治22年〕卒,東京専門学校(現・早稲田大学)卒

経歴
6歳の時、旧天城藩士で陸軍少尉だった父・一陣が西南戦争戦死し、母に育てられる。京都・東京で学び、22歳で岡山に帰郷後、有志と共に岡山英学校を創立。味野紡績、児島銀行の創立にも参画重役に就任。明治35年衆院議員に当選し小派閥の壬寅会に属したが、同年末に議会は解散し議員生活は短かった。再びの立候補はせず、朝鮮に渡り平安北道熙川郡一帯の金鉱採掘権を得て、韓国金鉱社長、朝鮮鉱業理事となる。晩年は朝鮮森林鉄道取締役、朝鮮興業鉄道取締役となり、朝鮮私設鉄道協会常務理事として朝鮮の民間鉄道普及に尽力するなど、実業界の重鎮として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田鍛雄」の解説

津田鍛雄 つだ-かじお

1871-1921 明治-大正時代の実業家,政治家
明治4年5月1日生まれ。岡山英学校を創立。味野紡績,児島銀行の創立にも参画。明治35年衆議院議員となる。のち朝鮮で韓国金鉱社長,朝鮮森林鉄道,朝鮮興業鉄道の取締役などをつとめる。大正10年11月30日死去。51歳。備前(岡山県)出身。東京専門学校(現早大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android