洲崎館跡(読み)すざきだてあと

日本歴史地名大系 「洲崎館跡」の解説

洲崎館跡
すざきだてあと

[現在地名]檜山郡上ノ国町字北村

あまノ川河口に北西から合流する目名めな川の北岸、標高二―一四メートルの海岸砂丘上に立地する中世の館跡。天河館ともいう(新羅之記録)。天ノ川を挟んで南に花沢はなざわ館跡、南西方向に勝山かつやま館跡が望まれる。「新羅之記録」によると、康正三年(一四五七)コシャマインの攻撃で道南十二館は相次いで陥落したが、上ノ国の花沢館茂別もべつ(現上磯町)とともに落城を免れた。花沢館の客将武田信広はこの戦いに辛勝した功により、花沢館主蠣崎季繁の養女の婿に迎えられ、「川北天河の洲崎館」に居し蠣崎家を継いだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android