日本の城がわかる事典 「洲本城」の解説 すもとじょう【洲本城】 兵庫県洲本市小路谷にあった山城(やまじろ)。戦国時代から江戸時代にかけて淡路国統治の中心となった城。国指定史跡。標高130mの三熊山に、安宅(あたぎ)氏によって1510年(永正7)築城されたと伝えられるが、1526(大永6)築城との説もある。1581年(天正9)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に攻められ、開城。安宅氏没落後、菅平氏・仙石氏・脇坂氏が居城し、脇坂安治(やすはる)のとき城の大改修を行い、現在遺構として残る大部分が築かれたとされる。東西約800mの範囲に総石垣造りの本丸・東の丸・南の丸など曲輪(くるわ)を築き、大手門を南側に開き、北奥の最高所に天守を配した。安治が伊予大洲に移封された後、藤堂高虎(とうどうたかとら)、池田輝政(てるまさ)が領したとされる。1615年(元和1)、大坂夏の陣で軍功のあった阿波徳島藩主蜂須賀至鎮(はちすかよししげ)が淡路一国8万石を加増された。寛永年間(1624~44年)に徳島藩の淡路支配の拠点が由良(ゆら)から洲本に移される(由良引(びけ))と山頂の城(上の城)は廃され、麓に館(下の城)が築かれた。重臣稲田氏を城代とし、以後稲田氏代々の居城となって明治維新を迎える。山上一帯は三熊山公園として、総石垣の曲輪、幾重にも築かれた登り石垣、堀が現存し、天守台には模擬天守閣が建てられている。下の城跡には石垣や内堀の一部が残り、洲本市立淡路文化資料館などが建っている。JR東海道本線三ノ宮駅またはJR山陽本線舞子駅からバス洲本行、洲本バスセンター下車、登城口まで徒歩30分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報