浄光明寺跡(読み)じようこうみようじあと

日本歴史地名大系 「浄光明寺跡」の解説

浄光明寺跡
じようこうみようじあと

[現在地名]鹿児島市上竜尾町

現在の南洲なんしゆう墓地の地にあった時宗寺院眼前に鹿児島湾に浮ぶ桜島を望む。松峯山無量寿院と号し、本尊阿弥陀如来。清浄光しようじようこう(現神奈川県藤沢市)末。時宗としては鹿児島藩最大の寺院で、薩隅日三州の小本寺であった。鹿児島三ヵ寺の一で(上井覚兼日記)、島津氏初代忠久から五代までと二一代吉貴の菩提寺開山は宣阿説誠。文治二年(一一八六)島津忠久が薩隅日三州を与えられて下向する際、宣阿を伴い創建したと伝える(「浄光明寺大概由緒書」旧記雑録)。建久七年(一一九六)の創建とする説もある(「島津国史」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報