日本歴史地名大系 「浄音寺」の解説 浄音寺じようおんじ 埼玉県:越谷市見田方村浄音寺[現在地名]越谷市大成町解脱山岩松院と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。開山は浄誉存保。存保は大相模(おおさがみ)郷見田方(みたかた)の出身で、江戸芝増上寺で修学し、天正一六年(一五八八)頃浄音寺を起立したと伝える(元禄八年「浄土宗寺院由緒書」東京都増上寺文書)。同一九年一一月徳川家康から「足立郡大相摸郷」内の一〇石を寺領として寄進され、代々安堵された(「寛文朱印留」など)。当寺は旧来は京都知恩院の末寺であったが、元和年間(一六一五―二四)頃、近郷の越ヶ谷安国(あんこく)寺ほか二ヵ寺とともに岩槻浄安(じようあん)寺との間に本末争いが起こった。 浄音寺じようおんじ 岐阜県:可児郡兼山町兼山村浄音寺[現在地名]兼山町 下町兼山町中央部の北西、旧古(ふる)町にある。海潮山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝では天文九年(一五四〇)斎藤正義により、京都知恩院智安を開山として創建されたという。創建時の寺地は古城(こじよう)山の麓で、現在の町役場裏付近の寺屋敷(てらやしき)とよばれる地にあった。この地は山の陰で湿地のため、元亀二年(一五七一)現在地に移転したとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報