浅尾村(読み)あさおむら

日本歴史地名大系 「浅尾村」の解説

浅尾村
あさおむら

[現在地名]明野村浅尾

かやヶ岳の西麓標高六〇〇―七〇〇メートル付近に位置する。東はかねヶ岳・茅ヶ岳、西は上神取かみかんどり村、南西浅尾新田村。枝郷に中込なかごみがある。慶長六年(一六〇一)検地帳(県立図書館蔵)には麻尾村とあり、上田五畝余・中田一反余・下田二反余・下々田一反余、上畑一町六反余・中畑三町余・下畑七町三反余・下々畑四町六反余、屋敷数一四。同年の山中熊蔵荒帳(同館蔵)では山畑九町二反余。慶長古高帳にも麻尾とあり、高八三石余、三枝土佐知行、ほかに大明神(三島神社)領二石余。

浅尾村
あそおむら

[現在地名]越知町浅尾

宮地みやじ村の北、仁淀によど川右岸にあり、対岸吾川あがわ鎌井田かまいだ村。「麻尾村」とも書き(元禄郷帳)、「土佐州郡志」に「在宮地村北、東西三十町南北二町余、其地砂土」とある。中世吾川片岡かたおか本村のうちで、天正一八年(一五九〇)の吾川郡片岡本村地検帳に「アソヲノ村」として八反余の地積のほか山畑六反余、切畑(焼畑)四反余が記され、すべて西古味にしこみ名。

江戸時代に高岡郡黒岩くろいわ(現佐川町)の枝郷として高岡郡に編入、総組頭一人が置かれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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