浅川範彦(読み)あさかわのりひこ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅川範彦」の意味・わかりやすい解説

浅川範彦
あさかわのりひこ
(1865―1907)

医師、細菌学者。土佐国(高知県)生まれ。高知医学校と済生学舎を卒業、医術開業試験に合格。1894年(明治27)、所長北里柴三郎(しばさぶろう)を頼って大日本私立衛生会の伝染病研究所に学び、初期のジフテリア免疫血清の製造を担当した。1899年、内務省伝染病研究所創立とともに第三部長、講習生指導者となった。1901年(明治34)「鶏の破傷風に対する天然免疫原理に就(つい)て」ほか7編の論文を提出して医学博士となった。著書『実習細菌学』(1896)は名著として6版を重ねた。北里門下の英才であったが夭折(ようせつ)。彼を記念する「故医学博士浅川範彦君記念奨学資金」(浅川賞)が有志醵金(きょきん)で創設され、毎年優秀研究に金メダル賞金が授与される。第1回(1909)は北島多一が受賞。なお1959年(昭和34)北里研究所は浅川賞の選考授賞業務を日本細菌学会に移譲、日本細菌学会賞となった。伝統のメダルと賞金は北里研究所研究奨励基金より提供される。

藤野恒三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅川範彦」の解説

浅川範彦 あさかわ-のりひこ

1865-1907 明治時代の細菌学者。
元治(げんじ)2年1月生まれ。明治27年伝染病研究所にはいり,所長の北里柴三郎をたすけ,ジフテリア,破傷風などの血清療法を研究。死後,浅川賞(のち日本細菌学会賞)が創設された。明治40年1月10日死去。43歳。土佐(高知県)出身。高知医学校卒。旧名は彦二郎。著作に「実習細菌学」。

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