浅藻
あざも
豆酘村と内院の中間にある浦。北東に竜良の霊峰、北西に木槲山がふさがり、浦の南に神山(南端を神崎という)が突き出ており、全域が聖地とされていたらしい。浦に注ぐ浅藻川は別に垢離川とも称され、禊の場で、八丁郭を卒土の内とよぶのに対して卒土の浜・潮湯浜とも称した。「海東諸国紀」に「安佐毛浦十五余戸」とあるのは浅藻に比定される。のち廃され、近世の検地帳などには記されない。浅藻は酘豆の枝里で、対州神社誌には卒土と記され、「三国志」魏書東夷伝の韓伝に記される蘇塗に通じる民俗があり、不入の聖地で、神話的葬地であったふしもある。江戸時代の史料に村名として記載がないのは民戸がないからで、地所は酘豆村のなかに組込まれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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