浅野三千三(読み)アサノ ミチゾウ

20世紀日本人名事典 「浅野三千三」の解説

浅野 三千三
アサノ ミチゾウ

大正・昭和期の化学者 東京帝国大学教授



生年
明治27(1894)年9月18日

没年
昭和23(1948)年4月17日

出生地
千葉県

学歴〔年〕
東京帝国大学薬学科〔大正8年〕卒

学位〔年〕
薬学博士

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞〔昭和11年〕「プルビン酸系地衣色素に関する研究」,日本薬学会学術賞〔昭和24年〕「ジフテリア菌体脂肪酸の研究」

経歴
金沢医科大学薬専教授を経て昭和13年東大教授となり伝染病研究所化学部、薬学科植物化学、生薬学講座担当。朝比奈泰彦一門による地依成分研究の有力メンバーで、脂肪族地依酸を5型に分類、その体系化を図り、微生物領域の脂肪酸研究を進めるなど、天然物有機化学の分野で業績を残した。11年「プルビン酸系地依色素に関する研究」で学士院賞を受賞。没後の24年「ジフテリア菌脂肪酸の研究」に対し日本薬学会学術賞が贈られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅野三千三」の意味・わかりやすい解説

浅野三千三
あさのみちぞう
(1894―1948)

薬学者。東京・深川に生まれる。東京帝国大学出身。朝比奈泰彦(あさひなやすひこ)に師事。薬学博士。金沢医科大学薬専教授となり、ドイツのフライブルクウィーラントの下に留学、化学と生化学結合を研究する。1936年(昭和11)「地衣リヘステリン酸系成分およびブルビン酸系色素成分研究」により帝国学士院賞を受けた。1938年東京帝国大学伝染病研究所(現、医科学研究所)化学部長。1944年同大学薬学科生薬学講座担当教授となり、伝染病研究所は併任となる。その間の主要テーマは、結核に対する化学療法剤の研究、結核脂肪酸、キノニール脂肪酸の合成薬物代謝による脳内アミノ酸の変化、緑膿(りょくのう)菌代謝産物の研究、ベンゾキノン系植物色素の研究などで、新しい領域開発に粉骨した。戦後過労がもとで急逝した。

[根本曽代子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浅野三千三」の解説

浅野三千三 あさの-みちぞう

1894-1948 大正-昭和時代の薬学者。
明治27年9月18日生まれ。金沢医大薬専教授をへて,昭和13年母校東京帝大の教授。地衣成分の研究,結核の化学療法剤の研究などで知られた。11年学士院賞。昭和23年4月17日死去。55歳。千葉県出身。著作に「基礎実験化学」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「浅野三千三」の解説

浅野 三千三 (あさの みちぞう)

生年月日:1894年9月18日
大正時代;昭和時代の化学者。東京帝国大学教授
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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