日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィーラント」の意味・わかりやすい解説
ウィーラント(Christoph Martin Wieland)
うぃーらんと
Christoph Martin Wieland
(1733―1813)
ドイツの小説家、詩人。9月5日、南ドイツ、ビーベラハ近郊に生まれる。ドイツ・ロココ文学の代表者で、創作活動の豊かさは当代随一であった。若いころには敬虔(けいけん)主義的思想の影響を受けて、宗教的、夢想的詩作も残したが、その後、故郷で官吏となり、フランス風の優雅なサロンで理神論およびギリシア思想に触れてからは、もっぱら現世的な生の賛美に、その流麗典雅な文筆を駆使した。エルフルト大学哲学教授、ワイマール公国の公子たちの傅育(ふいく)官、枢密顧問官を務め、人望厚く、やがてワイマールに招かれたゲーテとも親交を保ち、平和な生涯を送った。1813年1月20日、ワイマールで没。
数多くの作品を残したが、重要なものはまず長編小説『アガトン物語』(第1稿1766、第2稿1773、第3稿1794)である。これはドイツ教養小説の始祖で、ギリシアを舞台とし、青年アガトンが「まことの徳」を杖(つえ)として諸方を遍歴しながら、ついに「理性を最高の法とする神の国」の地上における実現を期待するまでの成長過程を描く。長編小説『アブデラの人々』(1774)はこれと趣(おもむき)を異にする風刺小説で、ギリシアの愚民の町アブデラに起こる珍妙な事件の数々を、ユーモアと皮肉たっぷりに描くが、彼の物語芸術はこの作で最高に達しているといえる。韻文物語『ムザリオン』(1768)と叙事詩『オーベロン』(1780)は、それぞれ優雅と貞節を主題とした名作である。そのほか、多数の創作、評論のほかに、シェークスピアの戯曲、および古代ギリシア・ローマの詩人たちの著作や書簡集の翻訳がある。
ウィーラントが当時の文壇の向上に果たした功績は大きく、ゲーテはおりに触れて賞賛を惜しまなかったが、一方では彼の文学思潮をいわゆるドイツ的でないとして忌避する傾向もあり、彼は文学史上、かならずしもつねに正当な評価を受けてきたとはいいがたい。
[義則孝夫]
ウィーラント(Heinrich Otto Wieland)
うぃーらんと
Heinrich Otto Wieland
(1877―1957)
ドイツの有機化学者、生化学者。6月4日プフォルツハイムに生まれる。ミュンヘンその他の大学に学び、化学のほか工学と医学の学位をもつ。ミュンヘン工科大学、フライブルク大学教授などを経て、1925年から1952年までミュンヘン大学教授ならびに同大学化学研究所所長。胆汁酸類とその類縁物質の構造を研究し、この業績に対して1927年にノーベル化学賞が授与された。彼の提出した化学式はその後1932年に修正された。胆汁酸のほか、アルカロイドや麻酔剤などについても研究し、さらに生物体内酸化作用に関する研究を行い、細胞呼吸のメカニズムにおける水素活性化説を提唱し、酸素活性化説を主張するO・H・ワールブルクと対立し、激しい論争を展開した。1957年8月5日ミュンヘンで死去した。主著は『酸化過程について』Über den Verlauf der Oxydationsvorgänge(1933)。
[宇佐美正一郎]