浦崎村(読み)うらさきむら

日本歴史地名大系 「浦崎村」の解説

浦崎村
うらさきむら

[現在地名]尾道市浦崎町

沼隈半島の西岸中央付近にあり、西に突出した小半島と、その先にある戸崎とざきを含む。北は松永まつなが湾、南はなだ湾に臨む。沼隈郡に属した。東部に山地があり、ほかは平坦地が多く、突出した半島と戸崎には中央に山がある。戸崎の鼻と御調みつぎ向島東むかいしまひがし村との間に戸崎の瀬戸とよぶ松永湾への南の入口がある。師楽式土器包含地が戸崎・満越みちごえ串の浜くしのはまの三ヵ所で発見され、弥生式土器出土地が戸崎の山中にある。戸崎古墳塚尻つかしり古墳などもある。

元和五年(一六一九)の備後国知行帳は「戸崎村」と記し、村高二一八・〇九九石。福山藩領。「福山志料」によると畝数一〇四町六反余で高八五四・一六石、「備陽六郡志」に田方三九町三反余で高四四七・五四二石、畑方六五町三反余で高四〇六・六一八石(屋敷二町三反余、高二一・〇一五石を含む)、定免五八パーセント。


浦崎村
うらさちむら

[現在地名]本部町浦崎うらさき山川やまがわ豊原とよはら石川いしかわ

謝花じやぱーな村の南に位置し、南西浜元はまむとう村。琉球国高究帳に浦崎村とあり、高頭六四六石余、うち田六七石余・畠五七九石余。「琉球国由来記」では拝所として中森(神名ワカタナノ御イベ)・浦崎巫火神・神アシアゲがあげられ、祭祀は浦崎ノロの管轄である。当村の北東部(現山川・豊原・石川)石灰岩の台地桃原とーばる(桃原平原)の一部で、廃藩置県頃、屋取集落が形成された。


浦崎村
うらのさきむら

[現在地名]伊万里市山代町やましろちよう立岩たちいわ浦之崎うらのさき

佐代さよ川の川口左岸にあり、西は平戸領(現長崎県)との境。正保絵図に「浦之崎村」とあり、貞享四年(一六八七)改の郷村帳には「一、立岩村 浦崎村御番所有」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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