広島・福山両藩の備後地方の藺草(いぐさ)で織った畳表。主産地を形成する備後国(広島県)沼隈(ぬまくま)・御調(みつぎ)郡地方では、すでに天文(てんぶん)・弘治(こうじ)年間(1532~58)に引通(ひきとおし)表が織られていた。福島氏時代(1600~19)沼隈郡では27か村で772機の畳表織機があり、中指(なかさし)表も織り出された。毎年幕府献上品3100枚、畳表改役(あらためやく)による製品管理が厳重に行われた。福山藩主が水野氏になると、献上表は幕府買上げの御用表となり、1647年(正保4)備後表座とよぶ独自の買上げ機構が設けられた。畳表生産の大部分を占める商用表は、国産第一の品として領外市場の信用確保のため、「九か条御定法」を定めて品質管理、流通統制を厳重にした。広島藩における御調郡産の畳表も、藩は毎年1万枚を御用表として買い上げ、商用表は運上銀を納めて尾道(おのみち)町表問屋の手を経て販売された。表問屋の金屋取扱いの畳表は、1703年(元禄16)4万6900枚、1710年(宝永7)は5万余枚となっている。廃藩後は諸制度が廃され、畳表製造業者・問屋が激増して自由販売となったが、1886年(明治19)には備後本口畳表同業組合(沼隈、深安)、備後本口尾道藺蓆(いむしろ)組合(御調)が設立され、自主検査するようになった。
[土井作治]
『『沼隈郡誌』(1923・沼隈郡教育委員会)』▽『『御調郡誌』(1925・御調郡教育委員会)』▽『『福山市史』中巻(1968・福山市)』
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…【星川 清親】
[歴史]
栽培の起源は古いが,書院造が始まる室町時代,とくに江戸時代以後栽培は普及,特産地として備後,備中が著名である。畳表の生産は備後国沼隈郡,備中国窪屋郡,都宇郡が盛んで,とくに沼隈郡の畳表は備後表として全国的に有名である。備後表は室町以来引通(ひきとおし)表であったが,1602年(慶長7)短いイグサも活用できる中継(なかつぎ)表が発明され,広島藩主福島正則の奨励もあっておおいに発展し,沼隈郡では48年(慶安1)機数1619台,1833年(天保4)には2751台を数えた。…
…わら床で常時敷き詰められている畳は,病害虫の温床として,公衆衛生上の観点から年2回大掃除を行い畳の裏まで日光に当てる畳干しが推奨された時期もあったが,床下換気が改良され,化学薬品が普及した結果,畳干しの必要はほとんどなくなっている。畳表は産地により,備前表,備後表(イグサを用いた畳表の代表的なもので,広島産が最上等とされる),高知表,八代表,琉球表(大分県などが主産地で,シチトウイ(七島藺)を用いる),諸目表(静岡県),小松表(石川県)などがあり,畳表がいたむと表だけを張り替える畳替えを行う。畳床(たたみどこ)は良質のわらを縦横に編んだものを圧搾して麻糸で重ね締めにしたものが本式であるが,近年では合成樹脂材を使用した畳床も多くなっている。…
※「備後表」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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