浦添街道
うらしーかいどう
近世に首里城と浦添間切を結んだ官道で、西海道の一部にあたる。正保国絵図に朱で描かれた首里城から浦添間切伊祖村を経て牧湊村に至る道筋にあたり、公事道とも通称された。ほぼ現在の県道一五三号線・市道五四号にあたる。第二尚氏七代尚寧の万暦二五年(一五九七)に整備された。同年九月吉日の浦添城の前の碑によると同年城間親方盛久(翁寄松)らを普請奉行として沖縄島および周辺諸島の人々を徴し、現那覇市首里平良町・首里大名町辺りに橋を架け、同市の儀保狭間までの道を石畳とした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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