20世紀日本人名事典 「浦田武雄」の解説 浦田 武雄ウラタ タケオ 大正・昭和期の社会運動家 生年明治26(1893)年3月14日 没年昭和48(1973)年3月24日 出生地熊本県玉名郡岱明町 学歴〔年〕日本大学専門部〔大正9年〕中退 経歴大正9年日大を中退して暁民会に参加。10年の暁民共産党事件で検挙される。11年共産党の創立に参加し、12年第1次共産党事件で検挙され10カ月の禁錮刑に処せられる。この間、産業労働調査所に入所する。昭和5年福岡で書店を経営、また労農・水平社運動に復帰した。10年台湾に渡って青年訓練塾拓南社を開設。戦後は引揚者団体東京都連合会委員長となった。また共産党に入党したが、25年の分裂の際離党した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「浦田武雄」の解説 浦田武雄 うらた-たけお 1893-1973 大正-昭和時代の社会運動家。明治26年3月14日生まれ。大正9年暁民会に参加。11年共産党創立にかかわり,機関紙「農民運動」の主筆をつとめる。鈴木茂三郎らの雑誌「大衆」の刊行に協力。昭和3年「社会運動通信」の編集長となった。昭和48年3月24日死去。80歳。熊本県出身。日大中退。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by