浦野庄(読み)うらののしよう

日本歴史地名大系 「浦野庄」の解説

浦野庄
うらののしよう

現上田市西部を東流して千曲川に入る浦野川上流から中流にかけての沿岸地帯に成立した荘園(現青木村から上田市西部にかけての平坦部)。古代の東山道が通過し、「延喜式」や「和名抄」にみえる浦野駅があった地域。八世紀末葉に跡目あとめ里と称され(日本霊異記)、「和名抄」に跡部郷と記されている地域もほぼこの庄の範囲と一致する。

<資料は省略されています>

「万葉集」巻一四にあるこの東歌は古来この地方土着の人の詠んだものとされ、浦野山とは浦野川の水源にあたる子檀嶺こまゆみ岳かたき山のことであろう。

荘名は、「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条の乃貢未済庄々注文の中に「日吉社領 浦野庄」とあるのを初見とする。「華頂要略」によれば鎌倉初期の浦野庄は尊長法印の所領で、承久三年(一二二一)六月一〇日、尊長はこの庄を他の一〇ヵ所余の所領とともに西山宮(後鳥羽天皇第八皇子朝仁親王)に譲ったことが記され、平安末から鎌倉にかけての浦野庄は、日吉神社が本家、尊長が領家であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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