朝日日本歴史人物事典 「海北友雪」の解説
海北友雪
生年:慶長3(1598)
江戸初期の画家。海北友松 の子とされるが,養子の可能性もある。名は道暉,友雪と号す。父の死後しばらくは絵屋(特別注文の絵画だけでなく大量生産の仕込絵制作やより工芸的な仕事もした町絵師)の小谷忠左衛門として生計を立てたが,友松が一時世話をした春日局の推挙により,徳川家光から江戸屋敷を拝領,その用命を受けることとなった。海北姓を名乗るのはそのころからと推定される。以後,明暦・寛文・延宝期の内裏の障壁画制作に参加,後水尾上皇などの宮廷の御用も勤め,法橋にも叙せられた。作風は軽妙・温雅で機知的趣向を凝らしたものも少なくない。友松よりもやまと絵や江戸狩野様式からの影響が強く認められる。代表作に妙心寺麟祥院(春日局の菩提寺)「雲竜図襖絵」,「祇園祭礼図屏風」(京都・八幡山保存会蔵),「厳島図屏風」(個人蔵)など。<参考文献>『時慶卿記』,山根有三「絵屋について」(『美術史』48号)
(川本桂子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報