日本歴史地名大系 「深岳寺跡」の解説 深岳寺跡しんがくじあと 福井県:足羽郡美山町三万谷村深岳寺跡[現在地名]美山町三万谷三万谷(さんまんだに)の南西方、字卵塔(らんとう)にあったと推定される臨済宗寺院。遺構などは不明。開山の祖心紹越は朝倉孝景の甥で、京都大徳寺の一休宗純の弟子。大徳寺の塔頭真珠(しんじゆ)庵や酬恩(しゆうおん)庵(現京都府田辺町)の庵主にもなったが、永正一二年(一五一五)頃には当地に深岳寺を建て、住持となっていた。「真珠酬恩両庵歴代世次」(増補正灯世譜)に祖心紹越について「永正十六年己卯四月十六日寂、創越前深岳寺、自号越山主・疎壁」とある。天文一五年(一五四六)四月六日の真珠庵越前年貢未進注文(真珠庵文書)に「深岳寺」とみえる。また年未詳八月付の真珠庵文書によれば、宇坂(うさか)三万谷福松という所に深岳寺という一休が草創した寺があり、方々から年貢が納められていたが、宇坂荘からは一〇〇石余が納入されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by