20世紀日本人名事典 「深沢利重」の解説
深沢 利重
フカザワ トシシゲ
- 生年
- 安政3年3月23日(1856年)
- 没年
- 昭和9(1934)年10月7日
- 出生地
- 豊前国宇佐郡天津村(大分県宇佐市)
- 旧姓(旧名)
- 大慈弥
- 経歴
- 少年の時に長崎で蚕糸技術を学び、明治9年関東・東北の蚕糸業視察旅行に出発。12年前橋の蚕糸指導者深沢雄象と会い、その影響でキリスト教(ハリストス正教会)に入信した。14年一旦帰郷し、中津末広会社を興すが、キリスト教徒であることが偏見の対象となり、上手く行かず。15年深沢の婿養子となり、前橋で蚕糸業に従事。以後、順調に業績を伸ばし、関東有数の製糸業者に成長した。一方で、キリスト教的リベラリストとして湯浅治郎や柏木義円ら群馬のキリスト教指導者たちと交流。21年には前橋英和女学校を創設し、教育界でも活躍。政府の養蚕行政に対しては批判的で、25年金子堅太郎農商務大臣が蚕糸業者に政府の方針を押しつけると、これに反対し、介入拒否の運動を展開。この事件を通じて長野の養蚕家にしてキリスト教徒相馬愛蔵の知遇を得た。35年には相馬と協力し、前橋から第7回総選挙に立候補した小説家・社会主義者木下尚江の後援に奔走。結局落選したものの、木下との友情が深まり、その社会主義思想に大きく影響されて37年12月には「日露時局論」を著し、日露戦争の早期終結と非戦を唱えた。著書は他に「日本蚕業論」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報