深瀬村(読み)ふかせむら

日本歴史地名大系 「深瀬村」の解説

深瀬村
ふかせむら

[現在地名]甲田町深瀬

下甲立しもこうたち村の北東可愛えの川西岸に位置し、対岸三次みよし下川立しもかわたち(現三次市)、北東の可愛川下流は秋町あきまち(現三次市)に接する。「芸藩通志」に「広三十四町、袤廿七町余、西北山連り東に繞る、南は平田にて大川を界とす、澗水二流これに入る」とある。中世後期は上甲立の五竜ごりゆう城に拠った宍戸氏の所領で、その一族深瀬氏が支配した。

元和五年(一六一九)の安芸国知行帳による村高は五九三・〇八五石で、以後大きな変化はないが「国郡志下調書出帳」によれば、享保一四年(一七二九)の地詰によって新開八斗八升四合が加えられた。

深瀬村
ふかぜむら

[現在地名]尾口村深瀬

手取川右岸に位置し、東は大辻おおつじ(一四三六・二メートル)の急斜面が迫る。西の対岸はたに村。越前国正保郷帳に村名がみえ、畑高二石余。元禄一一年(一六九八)の十八ヶ村高小物成帳(斎藤文書)では免七ツ九歩八厘、家数一三、小物成は夫銀五七匁余・夫綿銀一六匁余・夫糸代一三匁余。文久三年(一八六三)白山麓十八ヶ村由緒控(金沢市立図書館蔵)による高二石余、畑七反。

深瀬村
ふかせむら

[現在地名]阿南市深瀬町

楠根くすね村の西に位置し、南は那賀なか川を挟んで加茂かも村。同川には深瀬渡がある。慶長八年(一六〇三)書写の天正一七年(一五八九)一二月二五日の那西郡深瀬村御検地帳(佐々家文書)によると、田方三七石余・三町三反余、畑方五石余・一町一反余、居屋敷一石余・一反余、家数七。その後慶長九年にも検地が行われ、高・反別に大差はない(「検地帳」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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