清宮彬(読み)セイミヤ ヒトシ

20世紀日本人名事典 「清宮彬」の解説

清宮 彬
セイミヤ ヒトシ

大正・昭和期の洋画家,版画家



生年
明治19(1886)年12月23日

没年
昭和44(1969)年10月5日

出生地
広島

学歴〔年〕
東京府立第一中学校卒

経歴
白馬会葵橋洋画研究所に学び、大正元年木村荘八、岸田劉生フュウザン会を組織、第1回展に「静物」「自画像」を出品。3年には巽画会第14回展で2等賞。4年岸田らの草土社に参加同人作画のほか装丁で知られ木村荘八著「ニール河の艸」、中川一政詩集「見なれざる人」、草土社展目録の表紙木版画で飾った。昭和6年日本版画協会会員、のち顧問。代表作「朝鮮風景」などがあるが、戦災でほとんど焼失

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「清宮彬」の意味・わかりやすい解説

清宮彬【せいみやひとし】

洋画家,版画家。広島市生れ。白馬会研究所で学び,1912年フュウザン会,1915年草土社創立に参加。のち,日本版画家協会会員として活躍

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清宮彬」の解説

清宮彬 せいみや-ひとし

1886-1969 大正-昭和時代の洋画家,版画家。
明治19年12月23日生まれ。白馬会葵橋(あおいばし)洋画研究所にまなび,岸田劉生(りゅうせい)と知りあう。ヒュウザン会,草土社結成に参加。ポスター,本の装丁でも活躍。大正11年から本格的に木版画を制作,昭和6年日本版画協会創立会員。昭和44年10月5日死去。82歳。広島県出身。東京府立第一中学卒。

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367日誕生日大事典 「清宮彬」の解説

清宮 彬 (せいみや ひとし)

生年月日:1886年12月23日
大正時代;昭和時代の洋画家;版画家
1969年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の清宮彬の言及

【フュウザン会】より

…フュザンfusainとはデッサン用の木炭のこと。1912年(大正1)斎藤与里(より)(1885‐1959),岸田劉生,清宮彬(せいみやひとし)(1888‐1969)が発起して結成,その年10月に銀座京橋の読売新聞社3階で第1回展覧会をひらいた。結成当初は〈ヒュウザン会〉と称し,のちフュウザン会に改められた。…

※「清宮彬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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