木版画は最も古い版画形式で,凸版である。ホオノキ,ナシ,イチジク,ブナなどの板目を版面とする板目木版woodcut(英語),gravure surbois de fil(フランス語),Holzschnitt(ドイツ語)が当初から広く用いられているが,18世紀末に考案されたツゲなどの木口(こぐち)を用いる木口木版wood engraving,gravure sur bois debout,Holzstichは銅版画に似た効果によって19世紀に実用的な挿絵に多く用いられた。印刷法は大別して3通りである。(1)印仏や印鑑のように紙に版面を下にして版を押捺する方法で,これは小型の版に限られる。(2)上向きに置かれた版に紙を置き,紙の背面から手のひらやへらによって(初期的な方法),次いで,馬の毛のブラシやタンポンやバレンのようなものによって捺摺する方法。(3)西欧では活字印刷の開始と同時期から一般化する圧力(プレス)印刷機による方法。
現存最古の板目木版は敦煌から発見された《金剛般若経扉絵》(大英博物館)で,咸通9年(868)と記されているが,文字だけの刷物はそれよりも1世紀以上さかのぼる作例がある。一つは1966年発見の韓国慶州仏国寺三重石塔収納の《無垢浄光大陀羅尼経》で,751年以前のものとされる。この年代が正しければ,従来世界最古の印刷とされてきた日本の《百万塔陀羅尼》(770)より古く,また同じ経文であるが長文で精度も高い。いずれにしても,木版印刷物は現存品よりその起源は古いと考えられる。また,インドにおける布への捺染が紙の刷物に先行するとの推測もなされている。正倉院には8世紀ころの﨟纈(ろうけち),纈(きようけち)の作例のほかに,捺染の一種〈摺衣(すりごろも)〉なる文字も同時代に残っている。西方ではコプト(古代エジプト)や西欧中世に,紙の実用化に先立って,布の木版型染めが存在した。
日本ではまず紙の製法が伝わり,次いで仏教伝来とともに一種の信仰行為として製作される印仏,摺仏が長く行われてきたが,現存品としては浄瑠璃寺本尊胎内納入の墨摺の百体阿弥陀仏(1047)が最も古い部類である。作品の普及を目的としたものには,12世紀以降,扇面古写経下絵,縁起絵巻下絵,経巻見返し装飾および仏画にも木版が用いられ,それに手彩色が加えられた。17世紀前半の嵯峨本は中国刊本の刺激を受けた高度な装飾本であったが,それは大衆化して赤・緑・黄を手彩色した丹緑本となった。
一方,江戸時代には風俗画の進展にともない役者絵の版画化が行われ,赤と黄などを手彩色で加えた丹絵,紅絵あるいは膠によって光沢をだした漆絵などが18世紀前期につくられた。これらは18世紀後半の鈴木春信をはじめとする多色刷り浮世絵(錦絵)の盛行を導くが,これらの主題や色刷印刷方法には中国刊本からの影響を無視できない。なお色刷絵入本は浮世絵画派だけでなく,京坂地方の琳派,円山派,四条派,文人画派のそれにも優れたものがある。一枚刷り版画は春信の後,鳥居清長,喜多川歌麿,葛飾北斎,歌川広重,歌川国芳など数多くの浮世絵師が手がけた。彼らは伝統的な風俗画のジャンルを分化・展開させ,役者の性格や心理,理想的女性美の類型の開拓だけでなく,歴史画,風景画などにも新たな展望を開いた。古典文学や芸能,諺のもじり,地口,洒落,かけ言葉などをさまざまな形で構図中の人物の姿態,小道具,着物の文様などに織りこんで,浮世絵はその解読を楽しむ江戸町人のマニエリスム的高踏性から庶民的現実主義に至る幅広い文化体系を示し,民衆芸術としては他の国に例のない洗練をみせる。3枚続きで一構図をなすと同時に,その各図も独立した構図をなすことも類のないしかけであるが,それは日本絵画の装飾的構成の特質に基づくものである。後期には,6枚組の大画面によって版画の枠を超えようとするものが現れたが,その場合各図の独立性は弱まる。18世紀中期の浮絵では,西洋の遠近法を気まぐれに取り入れるが,しだいにその用法は的確さを増す。上述の連作大画面構成もそのことと関係がある。遠近法は浮世絵画派が新奇なものに敏感であることの一例であるが,開国期の大変動を貪欲に絵画化したのも,この画派の民衆的感受性に基づくものといえよう。なお,毛髪部分の曲芸的に微細な彫り,雲母摺(きらずり)による光沢,凹凸だけの空摺などの技法的彫琢と,線と面の微妙な色価の調整による的確な画面空間などの造形性の高さこそ,19世紀後半に起こる西欧美術の革新に一役買うゆえんであった(ジャポニスム)。浮世絵は近代美術における木版画の再生の起動力の一となったのである。
→浮世絵
中国は,木版以前に石拓版が想定されるほど,古い印刷文化の伝統を有し,朝鮮半島の活字印刷とともに,印刷技術史上先駆的役割を果たした。版画も,挿絵入刊本を中心に発展して,元・明から清代中期が質・量ともに最盛期である。しかし,日本の浮世絵版画が一ジャンルを形成したような展開の仕方とは異なっている。新年に家々の門口に貼る年画が民衆芸術として注目され,近代には外国版画の影響も受けながら木刻の運動が盛んとなった。
紙の製法の移入が13世紀末になる西欧では,木版画は国際ゴシック様式時代の14世紀末にライン川上流からネーデルラントにかけての地域でつくりだされた。彩色を後で加えることを予想して輪郭線だけの洗練された宗教画が残っている。しかし,その起源はもっと前であったと考えられる。15世紀中期からは遊び札(カルタ)やお守りの聖者像版画はより大衆化して粗雑な形体をもち,陰影をつけるために粗い平行線をいれ,無彩色が普通になる。印刷本では版木に文字や挿絵を彫った初期のものには優れたものもあり,また初期の活字本もきわめて優れているが(インクナブラ),活字本の広がりにともなって,粗雑な挿絵入本も現れる。16世紀には木版挿絵入本は安定した様式をもつようになるが,ベネチアでは15世紀末に輪郭線を生かした洗練された挿絵本をつくる。木版画は凸版なので文字と同時に印刷できる。16世紀まで木版挿図入刊本が数多く刊行され,活字の組合せと同じように図の四周の装飾文様が組み合わされて何回も用いられた。一枚刷木版画の聖人の顔部分が取り替えられて,別の聖人図になる例もある。初めは手のひらやへらのようなものによっていた一枚刷版画の摺りも,活字印刷とともに圧力印刷機にかけられるのが普通になった。
15世紀末に,銅版画の表現が精度を高めると,簡略化しがちの木版画に,銅版画を模した線の交錯で陰影部を彫って(凸版としては不合理な技法であるが),銅版画的な精度をもち,かつそれまでにない大型版画がつくられた。その大成者はA.デューラーであった。彼の影響は大きく,ドイツ,オーストリア,スイス,アルザスの諸地方にL.クラーナハ(父),A.アルトドルファー,ベーハム兄弟,H.バルドゥング,H.ホルバインらが輩出した。U.グラーフは線を白く残す拓本のような木版画もつくる。これらの地域で16世紀初頭にキアロスクーロという4ないし6枚の灰・青・褐色調の同系の色版によって立体感を表す版画が考案され,イタリアやフランドルでも17世紀初頭までつくられた。18世紀の色刷り版画の開発期にイギリスのジャクソンJohn Baptist Jackson(1701-54ころ)がこれを改良し,多色刷り複製版画を志したが,必ずしも成功しなかった。また木版画は,この時代の宗教改革と争乱の宣伝手段としても活用された。木版画は挿絵本も含めて17世紀以後は銅版画にとって代わられる。わずかにP.P.ルーベンスの作品を複製した木版画家や,18世紀にはホガースに例がある程度である。そのほかには16世紀のパリの木版画版元が宗教的擾乱を避けて地方に散ってその種子となったように,18世紀には各国に民衆版画が盛んにつくられる。15世紀の木版画がみせた粗雑さと大衆的な廉価性を受け継いで,身近な宗教図像,歴史的事件,時事問題,男女関係などを図式化し,伝説化していった。エピナル版画images d'Épinalは19世紀におけるその一例であった(石版も使われた)。
18世紀末にイギリスのT.ビウィックが木口木版を考案した。17世紀末に本のカットに用いられたものを改良し,ツゲの木口の小片を彫刻銅版画を彫るビュランで彫るものであった。表現が世人の尊重する彫刻銅版画に似ていることと,その小片を分業で彫り,貼り合わせて大型化可能な敏速性とが注目され,19世紀に発展する雑誌,新聞の需要に応えて複製技法として盛行をみた。それは登場まもない写真印刷への前段階をなすものでもあった。しかし木口木版画の芸術性についてはビウィック,W.ブレーク,E.カルバート,ラファエル前派の一部,H.ドーミエ,G.ドレ,V.ユゴーなどの作品のほかにはみるところが少ない。しかし,この実用的な木版画の切抜きの中から20世紀にはM.エルンストの超現実的なコラージュがつくられたことも付記しておこう。芸術的な退潮期にあった木版画を世紀末のジャポニスムの刺激の下に再生させたのはE.ムンク,P.ゴーギャン,F.É.バロットンらであった。19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツの〈ブリュッケ〉の表現主義的版画もその一例で,おもに板目木版であるが,小林清親のように木口木版の技法もしばしば併用される。現代では木口・板目ともに版画的表現の一翼を形成している。
執筆者:坂本 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
板に図柄を彫刻し、凸版法によってそれを刷り取る版画の方法およびその作品。この板目木版の板材としては、日本では主としてサクラ、西洋ではツゲが使用される。近年は合板を用いる作家も少なくない。後述のメタル・カット、木口(こぐち)木版も一般に広義の木版画として扱う。
[八重樫春樹]
木版画は版画の形式としてはもっとも古いものであるが、その起源は容易には定めがたい。というのも、シュメール時代(前3000ころ)のシリンダー・シールの例をまつまでもなく、凸版法によって画像を刷り出す(または押印する)方法は、きわめて自然発生的にいつどこにでも生じうるからである。
[八重樫春樹]
奈良時代に中国から伝来したようであるが、中国で初めて木版に画像が刻まれたのは唐時代といわれ、初期の例のほとんどは仏教に関連したものであった。日本でも初期の作品は仏教関係のもので、今日に残る作例も少なくない。中国では近代まで仏教・道教関係の挿絵程度にとどまったが、日本では平安時代後期に「扇面法華経(ほけきょう)冊子」の絵や「三十六人家集」の料紙装飾に雲母(きら)刷りが用いられるなど、重要な美術的手段として活用された。鎌倉・室町時代には木版手彩色の仏画も少なからず生み出され、また絵巻、草子、屏風(びょうぶ)などの絵柄や装飾などにも木版画がしばしば用いられた。
江戸時代に入ると、浮世絵の登場とともに木版画は急速な発達を遂げた。浮世絵版画の誕生は版画史上画期的なできごとであったが、絵師、彫師(ほりし)、刷師(すりし)の分業形態を生んだことでも注目される。
[八重樫春樹]
年記のある最古の作品は1423年のもので、種々の状況から考えて14世紀末には木版画はかなり成熟していたものと思われる。興味深いのは、初期の木版画は西洋の場合も信仰と関連して発達したことである。キリスト、聖母、聖者たちの像を表したもので、多くは修道院などでつくられ、火災、盗難、疫病などの予防のために庶民の家の戸口や家具などに貼(は)られた。15世紀中葉以降、木版本や活字本の発達に伴いその挿絵に木版画が多用され、また愛好家を対象とする魅力的な作品も登場し、制作も修道僧から職人の手に移った。ギルド制度の確立していたヨーロッパでは、銅版画師は金工師のギルドに、木版画師は大工のギルドに属した。
15世紀後半の一時期(1460~1480ころ)、金工師の領域から、錫(すず)などの軟質の金属に種々の形の鏨(たがね)で画像を打ち出し(ビュランという彫刻刀が補足的に用いられることが多い)、凸版法によって刷り出す装飾的傾向の強い版画(メタル・カット)が流行したが、16世紀を待たず急速に廃れた。
概して庶民的な芸術であった木版画に高い芸術的表現を与えたのは、ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーであった。彼は15世紀末から『キリストの受難(大受難)』『黙示録』『聖母の生涯』などの連作をはじめ優れた木版画の制作を重ね、それらの作品はヨーロッパ各地に大きな影響を及ぼし、16世紀におけるドイツを中心とする木版画隆盛の契機となった。ハンス・バルドゥング・グリーン、ルーカス・クラナハ(父)、アルブレヒト・アルトドルファー、ハンス・ホルバイン(子)、ネーデルラントのルーカス・ファン・ライデンらが16世紀の代表的な木版画家である。イタリアではヤコポ・デ・バルバーリやティツィアーノによって、複数の木版を用いた非常に大型の作品がいくつか生み出されている。銅版画と違い、下絵の線を彫り残す間接的彫版の木版画では、デューラー以来画家による下絵に基づいて専業の彫師が製版するのが普通であった。
1510年代に、いわゆるキアロスクーロ(単彩明暗画)の素描から着想を得た多色刷り木版画(キアロスクーロ・ウッドカットchiaroscuro woodcut)が生まれ、17世紀初頭まで続く。イタリアのウーゴ・ダ・カルピ、ドメニコ・ベッカフーミ、ドイツのクラナハ(父)、ブルクマイヤ、オランダのヘンドリック・ホルツィウスらがこの技法による代表的な作家である。木版画は16世紀末ごろから急速に衰退し、19世紀末にゴーギャン、ムンクによって復活するまでは、もっぱら民衆的画像表現の具として美術史の表面下に潜行した。
18世紀の末、イギリスのトマス・ビューイックが、木口木版wood-engravingにより動物などを題材とした独創的な作品を発表し注目された。ツゲなどの硬質の木材の横断面にビュランで画像を彫るこの方法は、18世紀なかばにフランス人のミシェール・パピヨンによって開発された技法で、木版画と同じく凸版法で印刷する。木口面の木材は概して小さいので、複数の木材の裏面をボルトで締めて大きな版面にする。19世紀初めにウィリアム・ブレイクもこの方法を試みているが、その後一般には画家の下絵を専門の彫版職人が彫るようになり、ドーミエやギュスタブ・ドレの下絵による作品がとりわけ人気を博した。
ゴーギャンの『ノア・ノア』の連作(1893~1895)をはじめとする一群の木版画は、この技法の最大限の効果を発揮させたものといって過言ではなく、創作版画としての木版画の復活を促した。ゴーギャンの例に触発されたムンクは、黒白対比を利した力強い作品を生み、キルヒナー、ヘッケル、シュミット・ロットルフら「ブリュッケ(橋派)」のグループによる表現主義の木版画に大きな影響を与えた。ムンクはまた、1枚の原版を分割してそれぞれにインキを施したのちにそれらを組み合わせて刷る、独創的な多色刷り木版画を考案した。
今日、版画芸術はかつてない隆盛を迎えており、その技法も実に多様であるが、木版画もその重要な一つである。現代木版画の代表的作家としては、日本の棟方(むなかた)志功と黒崎彰(あきら)の名をあげることができよう。
[八重樫春樹]
『小野忠重著『木版画――材料と技法』(1956・美術出版社)』▽『関野準一郎著『木版画の楽しみ』(1983・平凡社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…町人の絵画として,武家の支持した漢画系の狩野派とは対立するが,様式の創造的な展開のために,その狩野派をはじめ土佐派,洋画派,写生画派など他派の絵画傾向を積極的に吸収消化し,総合していった。安価で良質な絵画を広く大衆の手に届けるために,表現形式としては木版画を主としたが,同時に肉筆画も制作し,肉筆画専門の浮世絵師もいた。〈浮世絵〉という新造語が定着し始めるのは,版本の挿絵から一枚絵の版画が独立した直後の天和年間(1681‐84)のころである。…
※「木版画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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