百科事典マイペディア 「草土社」の意味・わかりやすい解説
草土社【そうどしゃ】
→関連項目フュウザン会
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大正期の美術団体。1915年10月に開かれた現代之美術社主催の洋画展覧会を第1回展として発足した。会名は,路傍の雑草に宿る生命や大地の恵みに目を注ぐというところから,会の中心になった岸田劉生がつけたもの。同人は劉生,木村荘八,横堀角次郎,清宮彬,高須光治,中川一政らで,少し遅れてバーナード・リーチ,河野通勢が加わっている。劉生の影響が強く,〈内なる美〉を求め赤土の多い寂しい郊外の風景などを細密に写して宗教味を帯びる同人の画風は,近代に逆行するとして画壇から異端視されたが,《白樺》の人道主義を背景に広範に浸透し,大正期の洋画の展開に特異な一面をもたらした。しかし同人がそれぞれの道を歩むようになると結束がゆるみ,22年11月,第9回展ののち解散した。
執筆者:原田 実
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大正期の洋画団体。1915年(大正4)、岸田劉生(りゅうせい)を中心とする現代美術社主催で開かれた展覧会を事実上の第1回展として発足、22年の第9回展を最後に解散。同人に劉生のほか木村荘八(しょうはち)、清宮彬(せいみやひとし)、椿貞雄(つばきさだお)、中川一政(かずまさ)、横堀角次郎(かくじろう)らがおり、のち河野通勢(みちせい)も参加した。会の傾向は、当時北欧ルネサンスに傾倒していた劉生の作風が支配的で、暗い色調と克明な細密描写を特色とし、二科系のモダニズムと明らかな対照を示した。この草土社風の写実は文芸雑誌『白樺(しらかば)』(1910創刊)の人道主義と密接な関係にあり、同時代の青年画家に多大な影響を与えた。解散後、主要メンバーは春陽会創立に客員として参加、初期にはその作風の名残(なごり)が認められる。
[佐伯英里子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…なお院展洋画部からは,二科展に出品した関根正二とともに,日本の青春ともいうべき大正期の象徴的存在である村山槐多が出ている。 大正前期の洋画界を二科会と二分するほどの影響力をもったのが,岸田劉生と彼がリーダーとなって結成(1915)した草土社であった。《卓上静物》《沼風景》《麗子像》や《お松像》にうかがえる,克明な写実の基礎に立って〈内なる美〉の世界を示した岸田の画業は,高橋由一の精進を継承する日本の近代が生んだ,借物ではない,自主的な写実主義の実践として重視すべきものである。…
※「草土社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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