清須城跡(読み)きよすじようあと

日本歴史地名大系 「清須城跡」の解説

清須城跡
きよすじようあと

[現在地名]清洲町清洲

清須は尾張平野の中心に位置し、古東海道(鎌倉街道)と伊勢街道との分岐点にあたる要衝の地であった。清須城が名古屋へ移転後、その跡地が開墾されたことや、後世国鉄東海道本線によって城跡が分断されたことなどから、遺構は明瞭ではない。文政年間(一八一八―三〇)の「清洲志」には「東西三十二間、南北三十間、丘上に松四株・榎一株を存するのみ」と記されている。弘化年間(一八四四―四八)建立の「右大臣織田信長公古城址」および文久二年(一八六二)の「清須城墟碑」と彫られた石碑がある。

室町幕府は守護所を初め旧国衙近くの下津おりづ(現稲沢市)に置いたが、文明一〇年(一四七八)頃には、守護代の織田敏定によって清須に移された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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