渋柿城跡(読み)しぶがきじようあと

日本歴史地名大系 「渋柿城跡」の解説

渋柿城跡
しぶがきじようあと

[現在地名]土居町小林 城山

小林(こばやし)の南方の飛地のうち城山(しろやま)にあり、志武垣城とも記す(伊予国宇摩郡地誌)。

天保一三年(一八四二)の「西条誌」によると、本丸(平(なる)は東西九間、南北二〇間)、二の丸(平は東西七間、南北五間)、三の丸(北側に平地、東西一八間、南北五間)の跡らしい地形があり、空堀の形も残る。薦田治部進義清の居城で、義清は天正年中(一五七三―九二)の合戦で討死した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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