渡津村(読み)わたづむら

日本歴史地名大系 「渡津村」の解説

渡津村
わたづむら

[現在地名]江津市渡津町

那賀郡北部、江川が日本海に注ぐ河口右岸に位置し、対岸郷田ごうだ村、東は浅利あさり村と太田おおた村。郷田村との間に山陰道の渡船が設けられていたが、渡船の権利は郷田村が掌握していた(「石見国郡中入用其外取計定書」重富家文書)正保国絵図に村名がみえ、高一三五石。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によると田方九五石余・畑方四一石余・新田畑高一三石余、年貢高は米二七石余・銀三四六匁余、小物成として釣船役二一匁余・水夫五人役四五匁・御菜役五匁・塩竈役一二匁などがあり、海村の姿を示している。家数本家四八・門屋五七、人数四六五、馬七・牛一八。宝永石見国郷村帳では高一二三石余で、枝郷塩田しおだ高一九石余、同じく加戸かど高六石余と分割されている。天保郷帳では「古ハ渡津塩田カド三ケ村」としている。


渡津村
わたづむら

[現在地名]鳥越村渡津

神子清水みこしみず村の南、大日だいにち川沿いに位置する。集落は同川右岸の河岸段丘上にある。永享一〇年(一四三八)正月一一日の藤原満宗寄進(祇陀寺文書)にみえる「ます谷」の畠地の四至に「南はわたつ村内小いわう谷をさかう」とみえる。正保郷帳では高二四一石余、田方四町七反余・畑方九町四反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印(渡津区有文書)の高二四一石、免三ツ八厘、小物成は山役一二六匁・川役三九匁・漆役九匁・炭役二四匁。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android