20世紀日本人名事典 「渡辺嘉一」の解説
渡辺 嘉一
ワタナベ カイチ
明治〜昭和期の土木学者,実業家
- 生年
- 安政5年2月8日(1858年)
- 没年
- 昭和7(1932)年12月4日
- 出生地
- 信濃国上伊那郡朝日村(長野県)
- 旧姓(旧名)
- 宇治橋
- 学歴〔年〕
- 工部大学校土木工学科〔明治16年〕卒,グラスゴー大学卒
- 学位〔年〕
- 工学博士〔明治32年〕
- 経歴
- 宇治橋瀬八の二男として生まれ、明治15年海軍横須賀造船所長・渡辺忻三の養子となり、大正2年家督を相続。16年土木技師として鉄道局に勤務したが、17年退官し自費で英国に留学、グラスゴー大学で工学・理学正科を専攻し学位を得る。卒業後、ジョン・フラワーやベンジャミン・ベーカー工務所の技師となり、当時では世界一と称される鉄橋ウォース・ブリッジの工事を監督する。21年帰国し日本土木会社の技師部長となり、25年参宮鉄道技師長、のち社長、30年北越鉄道専務兼技師長。のち成田鉄道、東京電気鉄道、京都電気鉄道、関西瓦斯、福島木材などの取締役を兼任し活躍。大正元年石川島造船所社長。14年帝国鉄道協会名誉会員となる。その後も伊那電気鉄道社長、東洋電機製造社長を務めたほか、京阪電気鉄道、京王電気軌道などの重役も兼務するなど、鉄道関連を中心に10数社の経営に関わり、日本の鉄道業界に貢献した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報