宇治橋(読み)ウジバシ

デジタル大辞泉 「宇治橋」の意味・読み・例文・類語

うじ‐ばし〔うぢ‐〕【宇治橋】

京都府宇治市、宇治川に架かる橋。平等院近くにある。
三重県伊勢市の五十鈴川に架かる橋。皇大神宮への参道

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精選版 日本国語大辞典 「宇治橋」の意味・読み・例文・類語

うじ‐ばしうぢ‥【宇治橋】

  1. ( 「うじはし」とも )
  2. [ 一 ] 三重県伊勢市の五十鈴川にかかる皇大神宮の参道橋。
  3. [ 二 ] 京都府宇治市の宇治川にかかる橋。大化二年(六四六)僧道登が勅を受けて初めて架橋。その後、洪水戦乱によって、たびたび架けかえた。中程の三の間は、古来橋姫明神をまつってあったところ。俗説には、文武天皇四年(七〇〇)僧道昭が架けたともいわれる。

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日本歴史地名大系 「宇治橋」の解説

宇治橋
うじばし

古代の北陸道や中世・近世の奈良街道が宇治川を渡る地点に架かる橋梁。「日本書紀」に天武天皇元年(六七二)五月、壬申の乱に先立って「近江京より倭京に至るまでに、処々にうかみを置けり。亦菟道うぢの守橋者に命せて、皇大弟の宮の舎人の、私粮運ぶ事を遮へしむ」とあり、宇治の橋守の存在が明記されているから、七世紀には架橋されていたことが確認できる。架橋者については、「続日本紀」文武天皇四年(七〇〇)三月一〇日条の道照死去の記事に「山背国宇治橋、和尚之所創造者也」とあり、また「日本霊異記」上巻には「高麗学生道登者元興寺沙門也、自出山背恵満之家、而往大化二(年)丙午、営宇治椅」とあって確定できなかったが、寛政三年(一七九一)四月、橋寺放生院の藩籬付近から、「帝王編年記」所収の宇治橋造橋銘にほぼ同文の碑石断片が発見されたため、同書の記述が注目された。それには、

<資料は省略されています>

とあって、大化二年(六四六)に道登・道昭(道照)が共同で架橋したとする説が有力となった。なお発見された碑片(国指定重要文化財)は、下部を補刻復原して橋寺放生院境内に立てられ現存するが、これをもって日本最古の橋ともいわれる。

平安遷都直後の延暦一六年(七九七)五月には、弾正弼文室波多麿を遣わして宇治橋を修造させ(「日本紀略」同月八日条)、弘仁元年(八一〇)の薬子の変、承和九年(八四二)の承和の変など、非常の際には宇治橋警固のため兵を派遣したことが六国史に記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「宇治橋」の意味・わかりやすい解説

宇治橋【うじばし】

京都府宇治市を流れる宇治川に架かる橋。流路の変化などにより架設位置は同じではないが,現在の宇治橋あたりに7世紀中葉に架橋されたのが最初。《日本書紀》(天武天皇元年5月条),《続日本紀》(文武天皇4年3月10日条)や《日本霊異記》《帝王編年記》に関係記事があり,1791年橋畔の橋寺放生(はしでらほうじょう)院で造橋碑の断片が発見されている。断定はできないが,646年に道登・道昭(道照)が共同で架橋したとする説が有力。奈良時代の宇治橋は北陸道(のちの奈良街道)の宇治川渡河点に架けられており,《日本書紀》によれば壬申(じんしん)の乱のとき,大友皇子近江朝廷は〈守橋者〉に命じて大海人(おおあま)皇子方が兵粮を運ぶためにこの橋を通過するのを防がせている。平安遷都後も都への枢要な出入口に位置する橋として重要視され,810年の薬子(くすこ)の変,842年の承和の変など,非常の際には警護の兵が派遣された。古代には修造は朝廷によって行われ,敷板は毎年近江国が10枚,丹波国が8枚を進めることに定められていた(《延喜式》)。しかし宇治川はしばしば氾濫し,橋は流失,再構を繰り返した。また宇治川を挟んでの合戦の際には橋板を引き落して渡河を妨げることが行われた(《平家物語》《承久記》《太平記》)。中世以降の主な修造に1286年の奈良西大寺の僧叡尊によるもの,1579年の織田信長によるもの,1599年の徳川家康によるものがある。叡尊は工事に先立ち宇治川一帯の殺生を禁じ,宇治橋上流に浮島(うきしま)十三重石塔を建立している。徳川家康の修造は豊臣秀吉による廃絶後の復旧と伝える。江戸時代には幕府が修理ないしは造替(ぞうたい)する公儀橋となり,東詰にある通円(つうえん)茶屋が橋守を務めた。宇治橋は《古今和歌集》以降,多くの歌に詠まれ,歌枕としても知られた。
→関連項目宇治

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旺文社日本史事典 三訂版 「宇治橋」の解説

宇治橋
うじばし

京都府宇治市の宇治川に架けられた木橋
646年道昭(一説に道登)が架橋したといわれる。『平家物語』にいう橋合戦(以仁王 (もちひとおう) ・源頼政の敗死),宇治川の合戦などの舞台となった。

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世界大百科事典(旧版)内の宇治橋の言及

【道登】より

…高句麗に留学した経験を持ち,元興寺(飛鳥寺)に住したとみられる。宇治橋碑によると,646年,人畜をすくうため,山背の宇治橋を架けたという。ただ同碑の造立年代には異説もあり,《続日本紀》に宇治橋は道昭の造立としていることもあって,問題が残る。…

※「宇治橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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