温泉荘(読み)ゆのしょう

百科事典マイペディア 「温泉荘」の意味・わかりやすい解説

温泉荘【ゆのしょう】

但馬国二方(ふたかた)郡にあった荘園。兵庫県温泉町(現・新温泉町)の湯一帯を荘域とする。古代は《和名抄》記載の温泉郷の地。1165年の但馬国司庁宣案および阿闍梨聖顕寄進状案(高山寺文書)によると,聖顕は郷内竹田寺木村を後白河院蓮華王(れんげおう)院(現京都市東山区三十三間堂)に寄進し,毎年能米100石進納を条件に領家職を確保した。この時国衙領温泉郷全体が荘園化したと考えられる。翌年荘域を巡って射添(いそう)郷と,1174年には八太(はった)荘とも相論があったが勝訴している。1278年の大田文(おおたぶみ)によれば,蓮華王院領温泉荘74町6反余,見作田63町余,領家は民部少輔入道,地頭は奈良宗光と舎弟の正員。永正(1504年−1521年)頃は名(みょう)に分かれ北村氏などが知行していた。

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改訂新版 世界大百科事典 「温泉荘」の意味・わかりやすい解説

温泉荘 (ゆのしょう)

但馬国二方郡(現,兵庫県美方郡新温泉町)の荘園。この地はもと国領温泉郷で,その本領主は平季盛であったが,1139年(保延5)子の季広が跡を継ぎ,これを法橋聖顕に寄進した。聖顕は65年(永万1)さらにこれを京都の蓮華王院に寄進し,そのとき同院に鐘楼一宇を造立したのでその成功により,蓮華王院領温泉荘として国領から切りはなすことが許された。翌年その四境に牓示(ぼうじ)を打って荘園として独立するが,本家蓮華王院,領家法橋聖顕,下司本領主平季広である。のち平季広と子季長は源義仲に従い同荘の年貢押領や狼藉を働いたので,84年(元暦1)後白河院は季広らの乱暴を禁止し下司職の没収を命じている。1285年(弘安8)の《但馬国大田文》では,田数74町6反余あり,蓮華王院領,領家民部少輔入道,地頭奈良宗光らとなっている。
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世界大百科事典(旧版)内の温泉荘の言及

【本家】より

…したがって本家は院宮家,摂関家など最上級の貴族に求められることが多い。例えば,但馬国温泉荘(ゆのしよう)はもと公領の温泉郷であったが,開発領主平季広が私領主権を阿闍梨大法師聖顕に寄進した。しかし,支配に不安を感じた聖顕は,さらに後白河法皇の御願寺である蓮華王院(三十三間堂)に寄進して本家と仰ぐことにし,ここに蓮華王院領温泉荘が成立するのである。…

※「温泉荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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