日本歴史地名大系 「湯之奥金山跡」の解説
湯之奥金山跡
ゆのおくきんざんあと
静岡県との県境の
湯之奥金山は戦国期から近世初頭にかけて採掘が盛んで、盛時には山中に鉱業従事者が多数集住し、中山村・茅小屋村・内山村と称する鉱山村を形成していた。しかし資源枯渇による金山の衰退に伴い元禄年間(一六八八―一七〇四)には閉山し、住民も山を下り三集落とも廃絶した(元禄四年「湯奥村六郎兵衛等訴状」門西正勝家文書ほか)。
〔中山金山〕
戦国期鉱山村を中山郷とも称した。永禄一一年(一五六八)一一月二七日の穴山信君過所(判物証文写)に「中山之郷」とみえ、武田氏一族穴山信君は中山郷への物資を自由に通過させるよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報