湯川康平(読み)ユカワ ヤスヒラ

20世紀日本人名事典 「湯川康平」の解説

湯川 康平
ユカワ ヤスヒラ

昭和期の軍人 日本中小企業団体連盟常任理事;元・日韓貿易協会専務理事。



生年
大正3(1914)年1月14日

没年
平成13(2001)年4月7日

出生地
熊本県熊本市三角町

旧姓(旧名)
清原

学歴〔年〕
陸士〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
労働大臣表彰〔昭和58年〕,通産大臣表彰〔昭和59年〕,自由民主党本部功労者,西日本文化賞

経歴
昭和11年陸軍少尉で2.26事件に連座。のち軍歴を離れ、17年熊本で東肥航空機工業を設立、全国の転廃業した中小企業主を集め特殊な経営を行った。かたわら熊本県教育委員、翼賛壮年団中央本部参与、軍事工業会理事など歴任戦後公職追放されるが、解除。28年日本貿易会本部理事、29年住宅互助会代表取締役社長、35年日韓貿易協会専務理事、東洋化工建設社長、36年コレアン工業振興社長、48年東京都地方労働委員。この間、37年韓国鉱工業保税加工調査団長として訪韓。陸士で同期だった朴正煕韓国大統領と親交もあり戦後の日韓国交回復に尽力した。他に日本中小企業団体連盟、東京都中小企業団体中央会各理事も務めた。一方、27年以来、衆院選に立ったが落選、自民党同志会会長として活躍した。また42年6月号の「文芸春秋」に、2.26事件生き残り将校として手記を書き、事件主謀者が西園寺公望であったという解釈を示した。著書に「東肥航空血盟録」「魂魄」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯川康平」の解説

湯川康平 ゆかわ-やすひら

1914-2001 昭和時代の軍人,実業家
大正3年1月14日生まれ。昭和11年陸軍少尉のとき二・二六事件で警視庁襲撃にくわわり,無期禁固刑となる。出獄後の17年東肥航空機工業を設立し,社長。軍事工業会理事などをつとめ,戦後に公職追放。35年日韓貿易協会専務理事,東洋化工建設社長となる。平成13年4月7日死去。87歳。熊本県出身。陸軍士官学校卒。旧姓は清原。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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