デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「湯浅宗業」の解説 湯浅宗業 ゆあさ-むねなり 1195-? 鎌倉時代の武士。建久6年生まれ。湯浅宗光の次男。紀伊(きい)保田(やすだの)荘(和歌山県)の地頭。京都在住がながく,明恵(みょうえ)に帰依(きえ)し,一流の教養人といわれた。荘内に星尾寺を草創,その開基の経緯をしるした「智眼置文(おきぶみ)」が高山寺にのこる。通称は保田次郎左衛門尉。法名は智眼。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の湯浅宗業の言及 【十訓抄】より …〈じっくんしょう〉とも。のちに出家して智眼(ちげん)と名のり,六波羅二﨟左衛門(ろくはらにろうさえもん)入道とも呼ばれた湯浅宗業(むねなり)が,まだ京都六波羅に仕えていたころに執筆したもの,と推測されている。1252年(建長4)成立。… ※「湯浅宗業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by