聖福寺(読み)ショウフクジ

デジタル大辞泉 「聖福寺」の意味・読み・例文・類語

しょうふく‐じ〔シヤウフク‐〕【聖福寺】

福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は安国山。建久6年(1195)源頼朝の寄進により建立。開山は栄西。日本最初の禅道場。寺宝に大鑑禅師画像・朝鮮鐘など。

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精選版 日本国語大辞典 「聖福寺」の意味・読み・例文・類語

しょうふく‐じシャウフク‥【聖福寺】

  1. 福岡市博多区御供所町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は安国山。建久六年(一一九五)宋から帰国した栄西の創建。日本最初の禅寺である。境内は国史跡。

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日本歴史地名大系 「聖福寺」の解説

聖福寺
しようふくじ

[現在地名]博多区御供所町

石堂いしどう(御笠川)の西岸にある臨済宗妙心寺派の寺。安国山と号し、本尊観音菩薩。境内は国指定史跡。江戸時代の御供所ごくしよ(このうちの聖福寺前町と称した地)金屋小路かなやしようじ町の東側に位置し、南に妙楽みようらく寺・承天じようてん寺がある(福岡博多近隣古図)

〔草創・鎌倉時代〕

 建久六年(一一九五)明庵栄西(千光法師)によって建立されたとされる(「元亨釈書」「千光祖師年譜」など)。ただし「聖福寺仏殿記」は元久元年(一二〇四)創建とする。栄西は文治三年(一一八七)再入宋して臨済禅(黄龍派)を学び、建久二年に帰朝。日本で禅の布教を開始した後、最初の本格的な中国禅宗寺院として当寺を創建した。この後栄西は京都に建仁けんにん寺、鎌倉に寿福じゆふく寺を開創しており、「沙石集」巻一〇は当寺と建仁寺・寿福寺を栄西の「創草ノ禅院ノ始ナリ」と記している。創建時の檀越については建久六年六月一〇日の栄西申状(聖福寺文書/鎌倉遺文二)によると、栄西が宋人の建立した「博多百堂」の旧跡に寺を建てることを願出て、源頼朝から許可されたとして、聖福寺では開基を頼朝としている。また朝廷からも造寺のため靫負尉一〇人が派遣され(一〇月一一日「後鳥羽天皇綸旨」同文書)、後鳥羽天皇から「扶桑最初禅窟」の勅額を得たという。栄西申状は形式的に疑問点が多いが、所伝自体は平安時代末期の博多の実情に合うし、近年の発掘調査の成果とも矛盾しない。博多百堂の地とは宋人集住地(博多津唐房)に属する仏地であったと思われる。そして栄西の「未来記」に登場する張国安のような宋商人(博多綱首)たちが檀越となり、故国で繁栄している禅宗の日本移入を助成したと想定するのが妥当である。以降、当寺は中世の博多の都市的展開の中核として存続した。なお当寺では仏殿に源頼朝の位牌を安置して毎年年忌諷経し、元禄一一年(一六九八)一月には五百遠忌を、嘉永二年(一八四九)一月には六百五十遠忌を行っている(新訂黒田家譜)。また寺内に伝狩野昌運作の源頼朝像も残っている。日中を往来する禅僧たちとも関係が深く、天福元年(一二三三)入宋前に円爾、寛元四年(一二四六)には蘭渓道隆、文永四年(一二六七)と同五年頃には寒巌義尹、同六年には大休正念らが止宿している(「聖一国師年譜」「本朝高僧伝」など)。文応元年(一二六〇)には中国の禅僧兀庵普寧が止宿し、開山(千光法師)の忌日に遭遇して大衆に請われて上堂している(兀庵和尚語録)


聖福寺
しようふくじ

[現在地名]長崎市玉園町

黄檗宗寺院。万寿山と号する。本尊は釈迦如来。開山の鉄心は長崎生れで、その父が州人の陳朴純、母は西村氏、一四歳で出家して福済ふくさい寺の唐僧木庵に師事、萬福まんぷく(現京都府宇治市)に随身、のち長崎に帰り、延宝五年(一六七七)真言宗智覚ちかく寺の跡を譲り受け、同六年萬福寺末として建立。唐三ヵ寺と合せて唐四ヵ寺と称されることもあり、幕末期は広東かんとん寺とよばれるほど広東出身者の帰依を受けた。宝永七年(一七一〇)一月漂流した南京船がうめさき修理場で修理された際、聖福寺は同船の唐人に米三俵・野菜二〇〇斤・豆腐五〇丁・醤油一樽などを贈った(唐通事会所日録)


聖福寺
しようふくじ

[現在地名]西根町寺田 下川原

寺田てらだの南部、染田そめた川西岸に位置し、旧鹿角かづの街道沿いにある。江峰山と号し、曹洞宗、本尊釈迦如来。幕末の南部領寺社鑑写(盛岡市中央公民館蔵)に御目見得以下の寺格で無禄とある。慶長二年(一五九七)の草創で、開基は寺田城主の北氏、開山は盛岡永泉えいせん寺二世尽室長呑という。承応三年(一六五四)に北家家臣佐々木六助昌政により寺領四石が寄進された(西根町史)。境内にもと七時雨ななしぐれ山麓にあった白坂しらさか観音堂がある。


聖福寺
しようふくじ

[現在地名]下田町 南下田

南下田みなみしもだの北にある。青峩山と号し、曹洞宗。本尊は釈迦牟尼。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に「正福寺 浄岩山七戸瑞龍寺末寺」とある。寛永一五年(一六三八)の草創で、開基は下田将監直徳、開山は明守とされ、明守は七戸しちのへ(現七戸町)瑞龍ずいりゆう寺四世と伝える(新撰陸奥国誌)

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改訂新版 世界大百科事典 「聖福寺」の意味・わかりやすい解説

聖福寺 (しょうふくじ)

福岡市博多区にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は安国山。1195年(建久6)博多百堂(宋人の建立)の跡地に源頼朝を開基檀越(だんおつ),明庵栄西を開山として創建された(一説には1204年(元久1)創建)。鎌倉時代末には諸山,南北朝時代の初めにはすでに十刹に列せられている。その後,度重なる戦乱および罹災により荒廃に瀕したが,1568年(永禄11)耳峰玄熊の入寺により諸堂の再興が行われた。87年(天正15)小早川隆景が当地に入部し,方丈をはじめとする諸伽藍の再興,怡土郡内300石の地を寺領として寄進するなど保護を加えた。その後も同寺に対する保護は引き続き行われ,近世に入部した黒田氏へと受け継がれた。なお近世初期,当寺は建仁寺派から妙心寺派へと転派している。什宝には1589年(天正17)小早川隆景寄進の銘をもつ洪鐘,六祖慧能大師,高峰断崖,中峰明本の画像などがある。なお江戸時代末に三雲遺跡から出土した有柄銅剣,内行花文鏡が伝わる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖福寺」の意味・わかりやすい解説

聖福寺(福岡市)
しょうふくじ

福岡市博多(はかた)区御供所町(ごくしょまち)にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。山号は安国山。宋(そう)から帰国した栄西(えいさい)が、1195年(建久6)源頼朝(よりとも)から寺領の寄進を受けて建立、日本における初期の禅宗興隆の根拠地となった寺。元久(げんきゅう)年間(1204~06)後鳥羽(ごとば)上皇から「扶桑(ふそう)最初禅窟(くつ)」の勅額を下賜された。室町時代には臨済宗十刹(じっさつ)の第三位となり、代々、高僧が住持となった。その後たびたび兵火によって焼かれたが、1589年(天正17)小早川隆景(こばやかわたかかげ)が再興。その後も再建修築を繰り返したが、山門、仏殿、本堂が直線上に並ぶ伽藍(がらん)は初期臨済宗の景観を伝えるものとして国史跡に指定されている。独特の禅画で大衆に禅の極致を説いた仙厓義梵(せんがいぎぼん)(1750―1837)はこの寺で生涯を過ごした。現在は妙心寺派の専門道場となっている。寺宝に中国禅僧大鑑禅師画像、高峰断崖中峰和尚(こうぼうだんがいちゅうぼうおしょう)像、銅鐘(朝鮮鐘)などの国重要文化財のほか、多くの文化財がある。

[菅沼 晃]



聖福寺(長崎市)
しょうふくじ

長崎市玉園(たまぞの)町にある黄檗(おうばく)宗の寺。万寿山と号する。通称広東寺(カントンでら)。本尊は釈迦(しゃか)三尊。1678年(延宝6)唐僧木庵(もくあん)禅師の高弟鉄心道胖(どうはん)が、長崎奉行(ぶぎょう)や中国紳商の帰依(きえ)を受けて伽藍(がらん)を建立したのが創始で、のち肥前国主鍋島(なべしま)氏の陣屋となった。明治初めまで、長崎にある唐三か寺(崇福寺(そうふくじ)、興福寺(こうふくじ)、福済寺(ふくさいじ))の監督寺であった。広大な境内に本堂(大雄宝殿)、山門、天王殿(いずれも県文化財)、鐘楼、じゃがたらお春碑、茶筌(ちゃせん)塚などがある。梵鐘(ぼんしょう)は「鉄心の大鐘」とよばれ九州第一の巨鐘である。

[大鹿実秋]


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百科事典マイペディア 「聖福寺」の意味・わかりやすい解説

聖福寺【しょうふくじ】

福岡市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊観世音菩薩。鎌倉初期栄西(えいさい)が建立という。地の利から入宋前後の聖一(しょういち)国師・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)など名僧の止宿寺であった。対明外交に活躍した住持が多かった。絹本着色大鑑禅師像(中国南宋時代)や梵鐘(1528年造)は重要文化財。

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デジタル大辞泉プラス 「聖福寺」の解説

聖福(しょうふく)寺

長崎県長崎市にある黄檗宗の寺院。山号は万寿山、本尊は釈迦如来。1678年建立。「広東(カントン)寺」とも呼ばれる。大雄宝殿、鐘楼などは国の重要文化財に指定。

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事典・日本の観光資源 「聖福寺」の解説

聖福寺

(福岡県福岡市博多区)
福岡県文化百選 建物編」指定の観光名所。

聖福寺

(福岡県福岡市博多区)
十刹」指定の観光名所。

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