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中山忠親 なかやまただちか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中山忠親
なかやまただちか

[生]天承1(1131)
[没]建久6(1195).3.12.
平安時代末期,鎌倉時代初期の廷臣。父は権中納言藤原忠宗。長寛2 (1164) 年参議,以後,権中納言を経て寿永2 (83) 年正二位権大納言高倉天皇の中宮徳子 (平清盛の娘) の中宮権大夫,安徳天皇皇太子時代の春宮大夫 (とうぐうたいふ) をも兼ね,一方では後白河上皇の院庁 (いんのちょう) の別当でもあった。

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デジタル大辞泉の解説

なかやま‐ただちか【中山忠親】

[1132~1195]平安末期・鎌倉初期の廷臣。内大臣。故実典礼に通じ、日記「山槐記」など貴重な資料を残した。「今鏡」「水鏡」の著者ともいわれる。

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百科事典マイペディアの解説

中山忠親【なかやまただちか】

平安末・鎌倉初期の高官。藤原(花山院)忠宗の子。晩年洛東中山の別邸に住したので,中山内大臣とよばれた。権大納言大納言などを歴任する一方,中宮平徳子)権大夫,春宮(とうぐう)(後の安徳天皇)大夫を兼ねた。
→関連項目山槐記

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中山忠親 なかやま-ただちか

1131-1195 平安後期-鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
天承元年生まれ。花山院忠宗の3男。公卿中山家の祖。参議,大納言,内大臣を歴任。この間中宮権(ごんの)大夫として平徳子(のち建礼門院)に,春宮(とうぐうの)大夫として皇太子時代の安徳天皇につかえた。朝儀,故実,法制にあかるく,後白河院庁で別当のひとりとして重用された。文治元年源頼朝から議奏公卿に推挙された。「水鏡」の著者とされる。建久6年3月12日死去。65歳。著作に「貴嶺(きれい)問答」,日記「山槐(さんかい)記」。

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世界大百科事典 第2版の解説

なかやまただちか【中山忠親】

1132‐95(長承1‐建久6)
平安末~鎌倉初期の公家。藤原北家花山院忠宗の子。中山家の祖。平氏全盛期に中宮(建礼門院平徳子)権大夫,春宮(とうぐう)(後の安徳天皇)大夫に任じ,平氏滅亡後しばらくは官位の移動がなかったが,1191年(建久2)内大臣正二位に任官。激動期に記した日記《山槐記》は史料として貴重。有職故実に関する往来物《貴嶺問答(きれいもんどう)》(《群書類従》所収)も忠親の撰といわれる。また《今鏡》《水鏡》の作者に擬せられることがあるが確かではない。

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大辞林 第三版の解説

なかやまただちか【中山忠親】

1132~1195) 平安末期の公家。藤原忠宗の子。内大臣。故実・朝儀に通じ、「水鏡」「今鏡」の作者ともいわれるが未詳。著「山槐記」「貴嶺問答」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中山忠親
なかやまただちか
(1131―1195)

平安末・鎌倉初期の公卿(くぎょう)。藤原姓。中山内大臣とも称す。権中納言忠宗(ごんちゅうなごんただむね)の二男で母は藤原家保(いえやす)の女(むすめ)。蔵人頭(くろうどのとう)を経て34歳で参議となり、昇進して61歳で内大臣に至り極官となった。妻が平時忠(ときただ)の女という関係から平氏の全盛期には、中宮平徳子(とくこ)の中宮権大夫(ちゅうぐうごんだいぶ)や安徳(あんとく)天皇の皇太子時代に春宮大夫(とうぐうだいぶ)を兼ねるなど平氏と近かった。彼は朝儀や故実(こじつ)法制にも明るかったこともあって、源氏の世になっても源頼朝(よりとも)の覚えもよく議奏(ぎそう)公卿に選ばれた。彼の日記『山槐記(さんかいき)』は平安末から鎌倉初期にかけての激動の歴史を知るうえでは欠かせない重要な文献である。ほかに往来物の『貴嶺(きれい)問答』がある。『今鏡(いまかがみ)』『水鏡(みずかがみ)』の著者にも比定されているが確証はない。書に優れ、その筆跡は、文覚(もんがく)に依頼されて55歳のとき書いた『神護寺(じんごじ)四十五箇条起請文(きしょうもん)』(現神護寺蔵)によって知られる。[朧谷 寿]

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世界大百科事典内の中山忠親の言及

【山槐記】より

…内大臣中山忠親の日記。名称は家名と大臣の唐名〈三槐〉に由来する。…

【水鏡】より

…3巻。著者は中山忠親(《本朝書籍目録》)。《大鏡》に語られる以前の時代,すなわち神武天皇以降仁明天皇までの時代を扱う。…

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