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高山寺 こうざんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

高山寺
こうざんじ

京都市右京区梅ヶ畑にある真言宗御室派の寺。山号栂尾山 (とがのおざん) 。初めは華厳宗寺院であった。明恵上人が,後鳥羽上皇から華厳興隆のためにこの寺を与えられたので有名。鳥羽僧正筆とも伝えられる『鳥獣人物戯画』 (国宝) その他の絵画,工芸品や,宋版などの古文書を多く所蔵する。寺のうしろの山には,栄西禅師がもたらした茶の種子を植えた日本最古の茶園があり,栂尾茶と呼ばれている。

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デジタル大辞泉の解説

こうざん‐じ〔カウザン‐〕【高山寺】

京都市右京区にある単立法人の寺。もと真言宗御室派の別格本山。山号は栂尾(とがのお)山。古く度賀尾寺といい、建永元年(1206)明恵(みょうえ)が再興して現寺号に改めた。石水院と、寺宝鳥獣戯画巻・明恵上人像は国宝。他に多数の古典籍類を所蔵。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

高山寺【こうざんじ】

京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある単立の寺で,もと古義真言宗の別格本山。天台宗の尊意の創建と伝え,1206年明恵が再興。華厳の道場として栄え,すぐれた絵仏師や学僧が多く,美術の一中心となった。
→関連項目右京[区]京都[市]古都京都の文化財(京都市,宇治市,大津市)三尾地【び】荘

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世界大百科事典 第2版の解説

こうざんじ【高山寺】

京都市右京区にある寺。山号は栂尾(とがのお)山,古義真言宗の別格本山。寺地は清滝川の清流にのぞみ,寺域は老木におおわれ,また紅葉の名所としても名高い。鎌倉時代の初め,この地にあった天台の古刹度賀尾寺(とがのおでら)が神護寺文覚(もんがく)によって復興され,神護寺の別院となった。しかし,この寺はまもなく荒廃し,1206年(建永1),後鳥羽上皇の命を奉じた明恵(みようえ)(高弁)が華厳宗興隆の道場として再興した。

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大辞林 第三版の解説

こうざんじ【高山寺】

京都市右京区にある真言宗の寺。山号、栂尾とがのお山。初め度賀尾寺と称した。1206年明恵みようえが再興して現名に改め、華厳宗復興の道場として栄えた。「鳥獣戯画」「明恵上人像」などの美術品のほか、特に貴重な典籍類が多い。また、紅葉の名所。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

高山寺
こうざんじ

京都市右京区梅ヶ畑栂尾(とがのお)町にある真言宗(しんごんしゅう)系の単立寺院。山号は栂尾山。774年(宝亀5)に光仁(こうにん)天皇の勅願によって開創。貞観(じょうがん)年間(859~877)、のちに13代天台座主(ざす)となり、また菅原道真(すがわらのみちざね)の怨霊(おんりょう)を鎮めたといわれる延暦寺(えんりゃくじ)の法性房尊意(ほっしょうぼうそんい)が当山で修行し、法力を得たと伝える。1206年(建永1)後鳥羽(ごとば)上皇の院宣により明恵上人(みょうえしょうにん)高弁は当寺を賜り、「日出先照高山之寺」の勅額より寺号を高山寺と称し、堂塔を復興した。さらに上皇は加茂(かも)の別宮石水院(せきすいいん)をここに移し、しだいに末院、坊舎なども増加し、寺運隆盛に向かった。このため明恵上人を中興開山とする。明恵上人は華厳(けごん)の大家であったので、当時は華厳宗の教学と真言宗の教学を兼ねた寺であったが、近世以後は真言宗専修の道場となった。1221年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱のとき、公家(くげ)方の将兵が大ぜい山中に逃れたので、明恵上人もこれに連座して北条泰時(やすとき)の兵に捕らえられたが、上人は泰時に無欲恬淡(てんたん)を説いて乱暴をやめさせたという。応仁(おうにん)の乱(1467~77)で焼失したが、織田、豊臣(とよとみ)、徳川の3氏がそれぞれ寺領を寄進し再興した。
 明治維新のときにも罹災(りさい)したがその後復興し、現在は境内に石水院(国宝)、金堂、開山堂などが建つ。石水院(五所堂)は鎌倉初期、中興当時の唯一の建物で、入母屋造(いりもやづくり)であるが、一部に春日(かすが)・住吉(すみよし)の社殿様式を取り入れた複雑な建築である。開山廟(びょう)域内の石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)・如法(にょほう)経塔は国重要文化財で、寺宝の鳥獣人物戯画4巻、仏眼仏母画像、華厳宗祖師絵伝6巻、明恵上人像は国宝。そのほか、絵画、古経典、古文書、墨蹟(ぼくせき)などの国重要文化財は数多い。1994年(平成6)、世界遺産の文化遺産として登録された(世界文化遺産。京都の文化財は清水寺など17社寺・城が一括登録されている)。栂尾山にある茶園は、明恵上人が栄西(えいさい)から贈られた茶を初めて植えた所といわれ、11月8日には上人の廟前に茶を献供する。[祖父江章子]

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世界大百科事典内の高山寺の言及

【鎌倉時代美術】より

…醍醐寺《五大明王像》や和歌山蓮華三昧院《阿弥陀三尊像》には伝統色が濃いが,醍醐寺《閻魔天像》は彩色法や描線に新しい変化をあらわし,1191年(建久2)の東寺《十二天屛風》(宅磨勝賀作)にいたって宋風の顕著な線描主義が出現する。高山寺《仏眼仏母像》も新しい様式の代表作であるが,この高山寺が宋風摂取の一拠点であり,そこには水墨画の導入もありえたとする説も出されている。
[前期の絵画,彫刻]
 11世紀以来の浄土教の発展にともない数多くの来迎図が描かれ,これと関連して二河白道図や六道絵がつくられ,また垂迹(すいじやく)画が仏画から派生して盛行する。…

【明恵】より

… 明恵はかねてインド仏跡参拝を計画していたが,1203年(建仁3)春日明神の神託により断念,05年(元久2)にも再度渡印の計画を実行に移そうとして《天竺里程書(印度行程記)》を作成したが,急病のため念願を果たせなかった。06年(建永1)11月に後鳥羽院から栂尾の地を賜り,弟子義林房喜海などを伴って移り,《華厳経》の〈日出先照高山嶺〉より高山寺と称することにした。まず金堂を造り,運慶・湛慶により釈迦や四天王像などが造られ,その後諸堂が整備された。…

※「高山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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