湯長谷藩(読み)ゆながやはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「湯長谷藩」の意味・わかりやすい解説

湯長谷藩
ゆながやはん

陸奥(むつ)国磐前(いわさき)郡下湯長谷村(福島県いわき市周辺領有した譜代(ふだい)藩。陣屋持。1670年(寛文10)磐城平(いわきたいら)藩主内藤忠興(ただおき)の三男遠山政亮(まさすけ)(頼直(よりなお))が磐前・菊多(きくた)郡のうち新墾田1万石を分与されて成立。以後14代200年在封。1681年(天和1)大番頭(おおばんがしら)に昇進、翌82年丹波(たんば)国(京都府)内に2000石加増。87年(貞享4)大坂定番(じょうばん)となり、河内(かわち)国(大阪府)に3000石加増、あわせて1万5000石を領した。政貞(まささだ)のとき内藤姓に復した。安政(あんせい)年間(1854~60)に領内白水(しらみず)村(いわき市内郷(うちごう))から石炭が発見され、1863年(文久3)2万6000俵も掘り出されたといわれる。戊辰(ぼしん)戦争では、奥羽列藩同盟に加わったことを理由に1000石を減封、1871年(明治4)廃藩置県で湯長谷県となり、平(たいら)県、磐前県を経て福島県に編入された。

誉田 宏]

『『いわき市史』(1975・いわき市)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「湯長谷藩」の意味・わかりやすい解説

湯長谷藩
ゆながやはん

江戸時代陸奥国磐前郡湯長谷地方 (福島県) を領有した藩。寛文 10 (1670) 年同国磐城平藩内藤頼長が弟頼直 (遠山姓) に新墾田1万石を分与し,湯本に立藩して以来内藤氏が領有。延宝8 (80) 年湯長谷に移り,貞享4 (87) 年までに丹波 (京都府) ,河内 (大阪府) に加封があって1万 5000石となり,明治1 (1868) 年に 1000石を減封されて廃藩置県にいたった。譜代,江戸城帝鑑間詰。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「湯長谷藩」の解説

湯長谷藩

陸奥国、下湯長谷(現:福島県いわき市)周辺を領有した譜代藩。藩主は内藤氏。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android