デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源光保」の解説 源光保 みなもとの-みつやす ?-1160 平安時代後期の武将。父は源光国。母は大中臣輔清(おおなかとみの-すけきよ)の娘。左衛門尉(じょう),検非違使(けびいし),出雲守(いずものかみ)を歴任。娘(土佐局)が鳥羽(とば)法皇の晩年に寵愛(ちょうあい)されたため,側近として昇進。平治(へいじ)の乱ではじめ源義朝方につき,藤原通憲(みちのり)を捕らえる。永暦(えいりゃく)元年6月後白河上皇への謀反の疑いで薩摩(さつま)に流され,途中で殺された。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「源光保」の解説 源光保 没年:永暦1(1160) 生年:生年不詳 平安末期の武将。源光国と大中臣輔清の娘の子で光信の異母弟。検非違使,左衛門尉,出雲守などを歴任している。鳥羽法皇の「最後ノ御オモヒ人」の父。平治の乱(1159)で藤原信頼に与同したが史料上に処罰はみえず,翌永暦1(1160)年謀反の疑いで配流,殺害された。 (木村真美子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by