源八千代(読み)ミナモト ヤチヨ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「源八千代」の解説

源 八千代
ミナモト ヤチヨ


職業
女優

本名
山崎 えい

生年月日
明治23年

出身地
東京市 赤坂区(東京都)

経歴
東京・新橋芸者に出、売れっ子となり、大正12年尾上松之助後妻に入った。本人の希望で日活京都の女優として、池田富保監督「戦後須磨」に松之助と共演。次いで松之助が公木之雄の名で監督した「憂国志士」前後篇、「三河武士」などに出演するが不評。15年松之助の死後、京都で待合・花外楼を経営。のち株や競馬で遺産をつぶした。

没年月日
昭和14年 1月26日 (1939年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「源八千代」の解説

源 八千代
ミナモト ヤチヨ

大正期の女優



生年
明治23(1890)年

没年
昭和14(1939)年1月26日

出身地
東京市赤坂区

本名
山崎 えい

経歴
東京・新橋で芸者に出、売れっ子となり、大正12年尾上松之助の後妻に入った。本人の希望で日活京都の女優として、池田富保監督「戦後の須磨」に松之助と共演。次いで松之助が公木之雄の名で監督した「憂国の志士」前後篇、「三河武士」などに出演するが不評。15年松之助の死後、京都で待合・花外楼を経営。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源八千代」の解説

源八千代 みなもと-やちよ

1890-1939 大正時代の女優。
明治23年生まれ。新橋の芸妓から尾上松之助(目玉の松ちゃん)の後妻となる。日活京都の女優として「戦後の須磨」などに出演した。大正15年夫の死後は京都で待合花外楼を経営するが失敗。貧困と孤独の晩年をおくった。昭和14年1月26日死去。50歳。東京出身。本名は山崎えい。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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