源義広(読み)みなもとのよしひろ

改訂新版 世界大百科事典 「源義広」の意味・わかりやすい解説

源義広 (みなもとのよしひろ)
生没年:?-1184(元暦1)

平安末~鎌倉初期の武将。源為義の三男。義朝の弟。母は六条大夫重俊の娘。本名義憲。常陸国志田(信太)(しだ)(現,茨城県稲敷(いなしき)郡など)に住し志田三郎先生(せんじよう)と号する。1180年(治承4)11月弟源行家とともに甥の頼朝を常陸国府に訪ねたが,いれられなかったらしい。83年(寿永2)閏2月,平氏追討のため手薄になった鎌倉の隙を狙って突如挙兵下野に入ったが,小山おやま一族のために敗退。その後源義仲に従って上洛し右衛門尉に任ぜられたが,84年(元暦1)源義経・範頼軍と戦って敗れ,5月4日伊勢羽取山で討たれた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源義広」の解説

源義広 みなもとの-よしひろ

?-1184 平安時代後期の武将。
源為義の3男。本拠は常陸(ひたち)(茨城県)信太(しだ)郷。源頼朝と対立し,寿永2年(1183)足利忠綱とともに挙兵したが小山朝政(おやま-ともまさ)の奇襲に敗れた。以後源義仲をたより,義仲の敗死で伊勢(いせ)(三重県)にのがれ元暦(げんりゃく)元年5月4日討ち死に。初名は義範(憲)。通称は志田三郎先生(せんじょう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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