日本大百科全書(ニッポニカ) 「小山朝政」の意味・わかりやすい解説
小山朝政
おやまともまさ
(1155―1238)
平安~鎌倉時代の下野(しもつけ)(栃木県)の武将。下野、播磨(はりま)(兵庫県)の守護。政光(まさみつ)の子。小四郎(こしろう)と称し、右兵衛尉(うひょうえのじょう)、左右衛門尉、検非違使(けびいし)、下野守(しもつけのかみ)、従(じゅ)五位下。1183年(寿永2)野木宮(のぎのみや)合戦で功をたて、常陸(ひたち)国(茨城県)村田下荘、下野国日向野(ひがの)郷の地頭職に補任(ぶにん)された。鎌倉幕府創業期の有力御家人(ごけにん)として活躍。89年(文治5)源頼朝(よりとも)の奥州征伐に参陣し、90年(建久1)頼朝上洛(じょうらく)に供奉(ぐぶ)し、右衛門尉に任官した。また1201年(建仁1)上京して大番役を務めた。承久(じょうきゅう)の乱(1221)には宿老の一人として鎌倉にとどまった。26年(嘉禄2)ごろ出家。法名生西。嘉禎(かてい)4年3月30日没。84歳。
[新川武紀]