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小山朝政 おやま ともまさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小山朝政 おやま-ともまさ

1155-1238 平安後期-鎌倉時代の武将。
久寿2年生まれ。小山政光の長男。源頼朝に属し,寿永2年源義広の軍をやぶって,常陸(ひたち)(茨城県),下野(しもつけ)(栃木県)で地頭職をあたえられる。一ノ谷の戦い,奥州の藤原泰衡(やすひら)征討などで活躍。下野守護となり,播磨(はりま)(兵庫県)の守護をかねた。嘉禎(かてい)4年3月30日死去。84歳。下野出身。通称は小四郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

小山朝政

没年:暦仁1.3.30(1238.5.15)
生年:生年不詳
鎌倉前期の武将。政光の子,小四郎,右兵衛尉,左右衛門尉を称す。治承・寿永内乱期に,父の在京の留守を守り,母(寒河尼)が源頼朝の乳母であった縁で頼朝に属し,寿永2(1183)年に常陸(茨城県)の志田義広木曾義仲に与し,足利忠綱と結んで下野(栃木県)に進出して来たとき,下野の野木宮合戦でこれを撃破して大功を挙げた。源範頼に属して平家攻めを行い,文治5(1189)年の源頼朝の奥州合戦では戦功を挙げた。下野では国司,守護兼帯の最大規模の豪族として,また播磨守護ともなり,有力御家人として幕府に重きをなした。<参考文献>小山市編『小山市史』通史編Ⅰ

(峰岸純夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おやまともまさ【小山朝政】

1155?‐1238(久寿2?‐暦仁1)
平安末~鎌倉前期の武士。小四郎,左衛門尉,下野守。小山政光の嫡男。下野に生まれる。1180年(治承4)源頼朝に応じて挙兵,続いて志田義広を破り,以来各地を転戦する。下野小山荘を領し,たびたびの戦功で常陸,播磨,陸奥等に所領を与えられる。下野守護を務め,99年(正治1)より播磨守護を兼任。承久の乱には幕府宿老として鎌倉にとどまる。1230年(寛喜2)嫡孫長村に所領を譲渡。京都で没す。【市村 高男】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小山朝政
おやまともまさ
(1155―1238)

平安~鎌倉時代の下野(しもつけ)(栃木県)の武将。下野、播磨(はりま)(兵庫県)の守護。政光(まさみつ)の子。小四郎(こしろう)と称し、右兵衛尉(うひょうえのじょう)、左右衛門尉、検非違使(けびいし)、下野守(しもつけのかみ)、従(じゅ)五位下。1183年(寿永2)野木宮(のぎのみや)合戦で功をたて、常陸(ひたち)国(茨城県)村田下荘、下野国日向野(ひがの)郷の地頭職に補任(ぶにん)された。鎌倉幕府創業期の有力御家人(ごけにん)として活躍。89年(文治5)源頼朝(よりとも)の奥州征伐に参陣し、90年(建久1)頼朝上洛(じょうらく)に供奉(ぐぶ)し、右衛門尉に任官した。また1201年(建仁1)上京して大番役を務めた。承久(じょうきゅう)の乱(1221)には宿老の一人として鎌倉にとどまった。26年(嘉禄2)ごろ出家。法名生西。嘉禎(かてい)4年3月30日没。84歳。[新川武紀]

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