源雅定(読み)みなもとのまささだ

改訂新版 世界大百科事典 「源雅定」の意味・わかりやすい解説

源雅定 (みなもとのまささだ)
生没年:1094-1162(嘉保1-応保2)

平安後期の公卿。太政大臣雅実の次男。1119年(元永2)参議に昇り,累進して49年(久安5)内大臣に任じ,翌年右大臣に進んだが,54年(久寿1)素懐を遂げるため辞官出家し,法如(一説に蓮如)と号した。時の左大臣藤原頼長はその出家を惜しみ,〈我朝の儀法を知る者,ただ彼の公あるのみ〉と日記に記して嗟嘆(さたん)した。鳥羽上皇信任も厚く,出家後も,近衛天皇没後の新帝選定の会議に召し出されたのをはじめ,しばしば公事の諮問にあずかった。また雅楽に通じ,笙をよくした。62年5月27日,没した。邸宅の号により,中院右大臣と称される。
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朝日日本歴史人物事典 「源雅定」の解説

源雅定

没年:応保2.5.27(1162.7.11)
生年嘉保1(1094)
平安末期の公卿,歌人村上源氏。太政大臣源雅実と勘解由判官藤原経生(または田上二郎)の娘の子。元永2(1119)年参議となり,累進して,久安6(1150)年正二位右大臣に至る。しかし,仁平4(1154)年辞官,出家。邸宅が中院と呼ばれたことから中院右大臣と号した。有職に関し意見を徴せられることが多く,出家したのちもそれは続いた。父より胡飲酒の舞を伝えられ,9歳のときから絶賛された。また笙の名人としても知られた。藤原顕季の婿となったことから和歌をたしなみ,『金葉集』以下の勅撰集に19首入集する。西行とも交遊があった。

(渡辺晴美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源雅定」の解説

源雅定 みなもとの-まささだ

1094-1162 平安時代後期の公卿(くぎょう),歌人。
嘉保(かほう)元年生まれ。源雅実(まさざね)の次男。元永2年(1119)参議。のち正二位,右大臣。中院入道右大臣とよばれる。淳和(じゅんな)・奨学両院別当に任じられ,以後子孫がその職をついだ。笙(しょう)と胡飲酒(こんじゅ)の舞の名手。「金葉和歌集」以下の勅撰集に19首はいる。応保2年5月27日死去。69歳。

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